タイトルからしてお察しだろうが、ウクライナ情勢である。

毎日のようにニュースを追いかけ、考える日々が続いている。

何を考えているか?「戦争とは何か?」である。

ただ、ウクライナ紛争とはちょっと違う話をする。

 

僕の持論がひとつある。今日も若い制作君に言ってみたのだが。

日本人の世代論である。

世代によって考え方が違う、というのはよくある議論だろうが、僕はこう捉えている。

 

僕は「団塊ジュニア」の世代にあたる。その親の世代が「団塊世代」だ。

その親の世代、つまり僕らの祖父祖母の世代は、「戦争を体験した世代」となる。

これがミソだ。

 

祖父祖母の世代は先の大戦でボロボロに敗れ、命の危機を乗り越え、平和の大切さを存分に味わったことだろう。

これは思想的な話ではない。本当に「今生きてる!食えてる!雨風凌げる家がある!」というレベルで、実感したことだろう。

だから彼らの世代は命の尊さを生理的に感じると共に、復興、あるいは「生きる」という行為にガムシャラに向き合っていたと思う。

そして彼らの頑張りがこの国に高度成長時代をもたらすのだ。

 

その子の世代にあたる団塊の世代、僕らの父母の世代だ。

彼らは自分の親始め大人たちが戦争を潜り抜け、必死に働く姿を目撃したことだろう。

その影響は確かにあったはずだ。

 

団塊の世代と言えば「全共闘の世代」でもあり、反発もあっただろうが、やがてその勢いは「若さゆえの過ち」として収縮し、大人になった時には親の世代から特別ボーナスが降ってくる。

「バブル期」の到来だ。

 

僕も母親に聞いたことがあるが、あの時期は「ビックリするくらい儲かった」らしい。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と評され、海外進出も甚だしく、アメリカに追いつかんかの勢いがあった時代。

しかし、それにはやはり「戦争で命の大切さを覚え、生きることに生き甲斐を感じる(変な言い回しだが)」という、祖父母の世代の頑張りと実感のこもった教えがあり、それが生理的に、体感的に伝わっていたに違いない。

 

 

はてさて、その子供の時代、つまり僕ら「団塊ジュニア」の世代とは?

「戦争を知らない子供たち」という歌があるが、厳密に考えると、僕らの世代こそが「戦争を知らない子供たち」なのだと思う。

それまで二世代にわたって浸透していた「戦争の恐ろしさ、平和の尊さ」を感じなくなった世代なのだ。

 

それは簡単に言うと祖父祖母の「戦争の世代」、父母の「団塊世代」、僕らの「団塊ジュニア」の世代で、漸次的に戦争というものの体感的な記憶や平和への意識、もっと言えば「生命力」がどんどん減っているということだ。

 

団塊ジュニアはバブル期に物心付き、裕福な日本で育った。

戦争から二世代分遠ざかったため、もはや戦争を肌で感じるような感覚がなくなってきた。

そしてバブルがはじけ、日本がとても「ナンバーワン」とは言えなくなった時期に成人し、働くようになった。

しかし「この国をちゃんと作り上げよう!」というモチベーションもなければ、更には「生きねば!」という意欲もない。

近年「8050問題」と言われるが、この国の引きこもりの人口は世代別に見て「団塊ジュニア」が圧倒的に多い。

 

もう生きる気力すらないのだ。

 

言いたいことが解るだろうか?

世代的に戦争から離れれば離れるほど、この国の民は弱体化している、ということだ。

それは自分自身にも言える。

生きることの重みを感じず、なんとなくいなすように、誤魔化すように生きる、そんな軽佻浮薄な世代と考えていいだろう。

僕は時々言っているが、僕ら団塊ジュニアは「最悪の世代」と断じている。

 

だがしかし、最近更に感じるのが、その下の世代はどうなのか?マトモなのか?

それがとんでもないことに、もっと酷くなっているのだ。

今の30代など、子供がそのまま大きくなっただけの、生産性もない、義理も人情もない、理屈もまともにごねられない、ややもすれば犯罪行為も厭わない、言わばただの「野獣」と化している。もはや人間ですらない。

僕は今まで、下の世代には「俺たちを反面教師にしろよ」と言い続けてきただけに、この現状はおぞましく情けなく、見るに堪えない。

これは印象的なものではなく、実際問題の話だ。被害も複数受けている。

 

じゃあそのまた下の20代は……?などと思うと、僕はこの国の将来に対して絶望するしかない。

そして語弊はたっぷりあることを覚悟して、こう思うのだ。

「人間は戦争から遠ざかれば遠ざかるほど、堕落するのではないのだろうか?」

 

 

僕は戦争賛成論者ではないし、そう思いたいのだが、しかしこう思わざるを得ない。

「戦争は必要悪ではないだろうか?」

 

有史以来、戦争が定期的にあることで、人間は生命力を維持し、理想的な社会を夢想してきた。

しかし戦争という危機的状況から遠ざかると、どうでも良くなるのだ。

 

 

大戦後も戦争や紛争を経験してきた米中ロと一緒にすることはできないが、少なくともこの国は、「戦争なしでマトモに生き延びられるのだろうか?」という重大な局面に来ていると、ウクライナを見て我が振り直せのように、そう思っている。

今はそうとしか言えない。