オリジナル含め、自分の作品の主人公は男女半々くらいでやってきた気がしていたが、しかし最近は意識的に少女を主役に据えるようになった。
次回作『魔法少女たち⛤』もそうだ。
『WUG』の島田真夢、『薄暮』の小山佐智など、自分の心を「代弁」させるのには、なぜか少女がやりやすい。
不思議だ。
男となると、松田耕平みたいな頼りない無能か、雉子波祐介のような謎多き少年か、あとはザコかクズ人間ばかりになってしまう。
あ、唯一大田邦良だけはしっかりしてるか。しかしオタクだしなぁ……。
『フラクタル』の時、何が苦労したかって、主人公・クレインの気持ちが解らないのだ。
解らないというのとはまた違うか、自分の気持ちが投影できないのだ。
投影すればそれだけ気持ちの悪い生き物になってしまう。だから岡田麿里の脚本も相俟って、変なキャラ造形となってしまった。
彼は最後まで成長できなかったように思う。それは同時に、僕の停滞でもあったのだ。
あれからいろんな迷いは吹っ切れたが、でもまだ男を主役に置くのは気が引けた。
じゃあ女に変えてみよう、と思ったら、実に素直に描けるようになった。
女性に対する憧れか?いや、それもちょっと違う気がする。
「オスとしての自分を誇れない」要素が、自分のどこかにあるのだと思う。
自分の写し絵が男だと、ただそれだけで気持ち悪いのだ。
こればかりはカウンセリングの先生も解らないらしく、心理学に詳しい方は誰か分析をお願いしたい。
あと、僕はどうしても男色家にはなれない。
どうしても男に性的なものを感じない。そう考えただけで悪寒がする。
それも一因なのかも知れない。