僕は『かんなぎ』の頃から「普通でいいんです」と言い続けている。

若い頃は変なこともやったが、正直飽きたのだ。

 

京アニに入りたての頃は、自主制作もやってたお陰で、ちょっと調子に乗ろうとしていた。

その鼻をポッキリと折ってくれたのが、「あまりに巨大な壁」師匠・木上益治だった。

 

すっかり萎縮した僕は彼の元でアニメのイロハをすべて教わった。

しかし師匠は逆に「お前は我を貫け!」と、突き放すような教育をした。

 

なんでだろう?

謙虚に学ぼうと思っていたのに、彼は僕のプライドをおおいに利用し、煽った。

 

だから京アニ時代は否応なく暴れまくったのだが、退社してからは「普通」をモットーにするようになった。

奇を衒わない。

スタンドプレイをしない。

ひたすらドラマを忠実に、丹念に描いていく。

 

『薄暮』まで続く僕の創作姿勢だ。

決して僕は天才だと思っていない。

「中の中」でいいと思っている。

 

だからこそ、「自分以下」のヘボ演出がどうしても赦せないのだ。

俺以下!?良くそれで金取れるな!?と苛立ってしまう。

もう歳なのだから、気を付けようと思っているが。

 

それで思い出したが、アミバ平川哲生は自分のことを本当に天才だと思っているようだ。

『かんなぎ』で彼の原画を見たけど、良くもまぁこれで……という出来だった。

今日も覚えたての難しい単語を並べて自分を良く見せるのに必死らしいが。

 

ああはなりたくない。