あおり運転が厳罰化された。
それはもちろん、あおり運転がスマホカメラやドライブレコーダーによって可視化され、一気に問題化したからだ。
しかし、社会が要請したから法が出来、あるいは改正されるのであって、個人的に絶対おかしい!と思っていても、ひとり叫んでいるだけではどうすることもできない。
ソクラテスはそれを諦め交じりに「悪法も法なり」と呟いた。
僕は法を絶対的に信じるものではない。
法は時代の要請に伴い変えるべきもので、そこに憲法を入れてもいいと思う。
例えば昨今やっと問題視され始めたSNSの無法状態には一刻も早くメスを入れるべきで、僕はそこに「匿名性の制限」を求める。
具体的に言えば「発信者情報開示の簡略化」である。
しかし、それが権力側に偏った法の濫用であってはならない。
法(憲法)はまず何より「権力を拘束するもの」でなければならない。
何が言いたいかというと、これだけ法律上の問題が山積みなのに、それを牽引すべき政権がつくづく邪魔だなぁ、という話。