今回は過去いろんなインタビューで語ったことを、改めてブログ用に起こし直そうと思う。

ブログを読むだけでわが師・木上益治の(覚えている限りの)すべてが解るようにしたい。

 

 

彼は僕に対して、いつもこう言って叱った。

「君はそんなことをするために、ここに入ったのかい?」

それは僕がちょっとでも手を抜いたり、まぁいいやと妥協したりすると、必ず飛んできた言葉だった。

いかにも彼らしい、僕のプライドを刺激するのに最適な言葉だった。

京大出のインテリが京都の場末の下請け業者に入った、ということに対する最大級の「煽り」だったのだ。

 

そう言われるとたまったもんじゃない。カチンとなって、コンチクショウと気合が入った。

何十回言われただろう?いや、せいぜい10回くらいか。

 

 

『POWER STONE』の10話で、遂に初演出することになった。

絵コンテは師匠だ。

 

人生最初の作打ち(作画打ち合わせ)となった。

その際は珍しく、全原画マンが集まっての打ち合わせとなった。

原画のメンバーには武本さん、池田晶子さん、高橋博行さんなどがいた。もちろんほぼ全員先輩だ。

そして師匠が後ろから見張っている。

僕は開口一番、こう挨拶をした。

「僕の初演出になります。まだやり方が良く解ってないので、皆さんのアドバイスをいただきながら進めていきたいと思います」
「止めて」
即座に師匠から指示が出た。
「みんな、解散して」
え?
まだ何もやってない格好で、一旦解散となった。
 
さすがにビックリした。……僕何かやりましたか?
雷が落ちた。
「君が指示を出すんだ!」
はぁ。
「周りのスタッフに頼らないで、君がすべての指示を出せ。でなければ打ち合わせはやらせない!」
そうかぁー。
 
師匠に言われたのではたまらない、このままでは仕事を取り上げられてしまう。
「解りました、やります」
 
再び原画マンが招集され、僕はおっかなびっくりで指示を出した。
こういう時、学生時の指揮者の経験が役立った。何か良く解らないけどなんとなく指示を出してその場を凌ぐという技術は会得していたのだ。
しかし、冷や汗をかいた。
 
 
「妥協をするな、我を貫け」
師匠がもうひとつ、僕に繰り返し伝えたことだ。
良く言い訳で言うことだが、今の悪名高いヤマカン像は何も僕の一方的な我儘でこうなった訳ではない。
師の教えだったのだ。
 
お蔭で僕は憎まれアニメ監督の代表格となってしまったが、師の教えに背いていたら、今頃どうなってただろう?
無名の演出で終わっているか、あるいは演出を諦めたかも知れない。
師の「英才教育」は僕の骨の髄まで染み込み、血肉となって今の僕を形成している。
 
 
今もことあるごとに、師匠の声が聞こえる。

「君はそんなことをするために、ここに入ったのかい?」

いえ、違います。決して違います。
死ぬまで僕は、師の教えに忠実に生きるだろう。