厳しい英才教育を僕に施してくれた師匠だったが、僕が生意気なことや無礼なことを言っても怒られた記憶がない。

「妥協はするな、我を貫け!」と僕に言ってしまった以上、そういうことは許されていたらしい。

僕がいろんな監督やスタッフに腹を立てボロクソ言ってる時も、苦笑いで聞いていてくれた。

 

僕が真剣に怒っているから、それは許されたのかも知れない。

井戸端会議的に嘲笑のネタとして言ってたら、対応は変わったのかも知れない。

 

 

『MUNTO2』の演出補佐として、なぜか師匠の前に僕がレイアウトを見ろ、という話になった。

はぁ?俺要りますか?どうせ師匠が全部直すんでしょ?と思いながらも、命令だからしょうがないと思ってやっていた。

それでもできることはやっておこうと思い、後輩の原画に「あのね、どれだけ広角にしても、円は楕円にしかならないの、菱形っぽくなったり、変に歪まないの」とか、そういう基本は前もって教えるようにはしていた。

 

名前は控えるが、ある先輩アニメーターの絵が僕には落書きにしか見えなくて、起用するな!と進言していた。

でも師匠は逆に重用するものだから、僕は、

「彼のカットは絶対見ません!」

と、師匠に押し付けた。

少しだけは見たのかな、でもあまりに落書きだったので、堪忍袋の緒が切れたのだ。

 

まぁ途中で他の仕事を入れられ、この不毛なレイアウトチェックは終わったのだが、あれは何をさせたかったのかなぁ?と今でも思う。

育てるつもりだったのか、しかし師匠のアドバイスは一切なかった。

 

その代わり音響・音楽周りは全く解らなかったらしく、忙しい中全部僕がディレクションをした。

当時まだ某社の社員だった神前氏を呼んできて、偽名で仕事をさせたのも僕だ。

その際も各劇伴の指定や指示は、全部僕がやっていた。

 

アフレコにも立ち会った。

正直ここでも「俺要るかぁ?」と思いながら、でも隅の方でいるだけはいた。

しかし音響監督の鶴岡さんは、各テイクを録り終えると、必ず師匠をすっ飛ばして僕に質問してきた。

え?あの、俺監督と違うんですけど、と思いながらも、師匠は黙りっぱなしなので、しょうがないから僕が指示を出した。

鶴岡さんとは既に『フルメタルパニック?ふもっふ』や『AIR』でお世話になっていたので、まぁ一番うるさいのはこいつだ、という認識でいてくれたのだろう。

 

アフレコ帰りに「なんで鶴岡さん、俺ばっかりに訊くんですかねぇ?」と愚痴ると、師匠は、

「あの現場の『主』が誰なのか、見抜いていたんだよ」

なんか変な持ち上げられ方をされた。

 

 

ここまで綴ると、逆に甘やかされてたんじゃないのか?と思ったりもするのだが、逆に師匠としては、アニメーターからの視点ではない新鮮な演出感覚を持った奴、として、興味を持っていてくれたのかも知れない。

 

 

まぁ、その後京都アニメからはアニメーター出身以外の演出家が生まれることは、一切なかったのだが。

自分の境遇って何だったんだろう?とはたまに思う。