生意気盛りだった27歳くらいの頃、僕は後にあれだけの恩義を受ける武本さんの演出がどうにも納得できず、師匠に進言、というか文句を言いにいったことがある。

「どうしてあんな人を演出に使うんだ!」と。

 

触るもの皆傷つけた20代、信じられないかも知れないが、僕は今より狂暴だった。

 

しかし師匠はためらうことなくこう返した。

「じゃあ早く一人前になって、彼の座を奪いなよ!」

 

普通なら「半人前の若造が何言っとるか!」と叱責する場面だ。

しかし、何度も言うが、彼は僕の育て方を知っていた。

言い方を敢えて変えたのだ。

 

僕は絶句してその場を去った。

普通に怒られるより更にプライドが傷つけられた。

 

そこからなにくそ!と更に研鑽を積んだ。

師匠には競争することの大事さも教わった。

 

 

これも今だから言えるが、今でこそお互いリスペクトできる仲となった錦織博監督の初監督『天使になるもんっ!』に京都アニメは参加した。

しかし錦織監督も当時はとんでもない暴れん坊、しかもウチで立てた演出は大人しい女性の方で、振り回されっぱなしだった。

現場は崩壊寸前、そして演出が監督のオーダーに耐え切れず途中リタイアとなったので、当時『POWER STONE』で大事な初演出に挑んでいた僕が代わりに演出助手に入り、東京のぴえろに詰めて仕事をしたが、当時の僕もまた二作掛け持ちでとんでもない混乱状態に陥り、モミクチャになって京都に戻った。

 

帰ったら師匠が仁王立ちになって『天使になるもんっ!』の完パケを観ていた。

OPの「♪いいんんだもんっ!いいんんだもんっ!」に思わず師匠、

「良くない!!」

 

師匠が本気で怒ったのを見た瞬間は、これを入れて二回だけだ(内一回は僕が怒られた時)。

 

 

普段温厚で、怒ると怖い、そして育て上手な師匠。

京都アニメーションはこうして、みるみる内に力を付けたのだ。