こんななんでもない構図でもパースを強調してる。
師匠の美学というか、癖だったな。
 
 

 

これを観ている。

『MUNTO』の第一、二作に演出補佐として参加した時、僕は師匠から世界設定を事細かに聞いている。

しかし、どうしても良く解らなかった。

 

何が解らないかって、やはり「師匠、ホンマにこれやりたいのかな?」というところが、引っかかった。

感情が乗ってないのだ。

僕はそれに対しては否定的だ。

 

かつてSF・ファンタジー、いろんな大作の現場で第一線に立ち働いた人だ。「自分にもできる!」と思っても不思議ではない。

しかし、どうも見様見真似というのか、「こんな感じだったかな?」という、中途半端な感覚がどうしても見え隠れする。

 

僕は、彼が本当にやりたかった企画を知っている。

それが世に残らなかったというのは、日本アニメ史の最大の欠損であり、京都アニメーション最大の瑕疵である。

 

 

まぁそれはさておき、師匠シリーズ第三回。

今回は過去何度も言っていることも、ブログ用に起こし直してみよう。

 

 

『POWER STONE』という作品を、京アニがグロス請け(各話担当)することになった。

僕にとっては初演出だが、あちこちに振り回されっぱなしであまりいい思い出はない。

 

その最終回を、師匠がやることになった。

僕はその時から弟子として、師匠のコンテと、その元になる脚本は誰よりも先に見ることになっていた。

 

出来上がった絵コンテを真っ先に見た。

そして、ビックリした。

「エンディングが変わってる!!」

 

脚本ではフォッカーという主人公がラスボス・ヴァルガスを痛快に倒すというまぁ定石通りの展開で終わっていた。

しかし、絵コンテでは、なんとヴァルガスの魂をフォッカーが救済するというイメージシーンが追加されていたのだ。

 

「師匠!これ脚本と違いますよ!?」

師匠はニヤリとドヤ顔で笑って、

「これが演出だよ」

 

師匠の絵コンテはそのまま採用されてしまった。

 

 

これが後日、僕に降りかかってきたのが『ジャングルはいつもハレのちグゥ』。

話数は伏せるが、当時までは僕のコンテは監督に渡る前に師匠のチェックを受けていた。

この作品以降、やっと一本立ちしたと思ってくれたのか、チェックはなくなるのだが。

 

まずAパートができたので見せた。師匠は不機嫌だ。

「どうですか?」

「山本君、シナリオ通りにやってるね?」

「へぇ」

「これじゃダメだよ!」

 

うわー、俺にまでそれさすんかい!

師匠は駆け出しの僕にまで「シナリオ無視」を強いたのだ。

 

師匠に認められなければ仕事がもらえない。僕はBパートをハチャメチャに描き散らした。

 

師匠それを読んで、破顔一笑、

「これだよ!」

 

後日、監督にメタメタに直されたのは言うまでもない。

 

さすがにその時は監督に言い訳した。

「これ、師匠がやれって言ったんですよ!?」

シンエイ動画での師匠の仕事を知っている監督は微笑んで、

「ああ、解ります」。

 

 

さすがにここまで来ると思うところがいっぱいあるが、やっぱり僕は、彼の教えに忠実に、今も生きている。