たぶん巷で最初に出てきたルポタージュ本。

行きの飛行機の中で読む。

 

最初は青葉の足跡を慎重に追って、彼の人生を偏見なきよう冷静に見つめようと頑張るのだが……あれれ?

最後で筆致が豹変してしまう。

 

アーレントを引用してジェノサイドだとか、人類の誰も君と一緒に生きたくないとか、まぁそれこそ「上手いこと」言おうと必死だが、青葉を頭ごなしに痛罵するだけで、仮にもルポなんだからこんな文章で本を買わすな、と言いたい。

なぜ青葉真司が生まれたのか?社会はどうして彼を生み出したのか?その議論はまったくなかった。

まぁ学者でもないんだからそこまで要求するのも酷だが、後半の興奮で我を忘れた文章にどうも違和感が残る。

ていうか、イタい。

 

そして「オタク批判」に対する猛然とした抵抗の姿勢だ。

 

……あれれれ?

それって、単に「俺は青葉じゃない!!」と弁明してるだけじゃないの?

それだけを言いたかったの?

他のオタクども同様に??

 

「人類の宝」だとか古巣を持ち上げていただいてそりゃ恐縮だが、浅薄な善悪の識別には辟易した。

京アニは宝!オタクは悪くない!悪いのは青葉だけ!

 

何の議論にもなってない。

それでも資料的価値はあったからまぁいいのだが……。

 

 

僕は敢えて冷静に書きたいが、彼の「京アニもオタクも(俺も)悪くない!悪いのは青葉だけ!」という論調は、「俺は悪くない!悪いのは京アニだけ!」と決めつけた、まさに彼の推察する青葉自身の心理とまるで瓜二つのように解釈した。

やたら自分の人生を青葉と重ねたがるところもそういうことなのだろう。

 

彼がいみじくも引用した古谷経衡の文章もそうだ。彼も京アニを過剰に賛美し、『涼宮ハルヒの憂鬱』がオタクを変えた!と叫んでいたが、その縋るような必死な態度に異常な空気を感じた。

 

彼らは青葉真司を作り出した「空気」から目を背ける。

今も数多いるネット上の「ワナビ」、彼の言う「青葉予備軍」に鋭いメスを入れ、総括、いや的確な「峻別」をしようとしない。いや、できない。

自分がその中に入ってしまう恐れがあるからだ。

 

彼らに「オタクの価値を変えてくれた」とまで言わせる『ハルヒ』の中枢を担った一員として申し上げる。

甘えるな。

逃げずにオタクの総括を始めよ。

話はそれからだ。

 

アーレントやドイツはちゃんとやったぞ?

 

 

僕は『ハルヒ』の歴史的意義をも含め、オタクの総括を速やかに行う。

こんなことが絶対二度とないようにだ。