岡田斗司夫さんは「オタク・イズ・デッド」で、

「ジブリのスタッフは災難だよ!だってスタジオで一番上手い人間がスタジオで一番長く働くんだぜ!そりゃみんな心折れちゃうよ!」

と、茶化していたが、

「そう言えば、ウチの師匠は必ず定時で帰ってたな」

と、思いだした。

 

僕が弟子入りした時師匠はまだ40歳だったはずだが、その頃から彼は、キッチリ定時に帰っていた。

それも5分や10分遅れではない、本当にジャストで帰るのだ。

「それじゃ、お先に、失礼します!」

今もその声を思い出す。

 

当時は、うーんもう歳だからかな?とか、家庭の方が大事なんだなぁ、とか思っていたが、最近になってそうじゃないと気づく。

彼は周りの未熟なスタッフに、できる限りの「模範」を見せていたのだ。

 

もちろん「労働は定時に終わるもの!」という一般論もそうだが、それ以上に大事だったのは、スタッフに「ゴミ漁り」の機会を与えたのだ。

「ゴミ漁り」、僕らはそう呼んでいた。

師匠の机やゴミ箱を漁り、彼の描いたものを研究するのだ。

場合によってはパクっているスタッフもいた。

 

「ウチのスタッフの通過儀礼だよ」

武本さんはそう言っていた。

さすがに当時の武本さんはやってなかったが、駆け出しの頃はやってたらしい。

 

師匠の机にひとり、ふたりと若手アニメーターが集まって、あちこちを漁りまくる。

傍から見てると奇怪な光景だった。

僕はアニメーターではなかったのでさすがにそこまでやらなかったが(いや、やったか?)、良くその光景を見ていた。

 

こうやってひとり、またひとりと成長した。

「俺の背中を見て育て」「俺のゴミ箱を見て育て」、師匠独自の教育法だった。

 

綺羅星のごとき京アニスタッフは、こうして育った。

「定時に帰るから俺の仕事を漁れ」、大胆不敵な彼の教育法は、同時に自分の仕事への自信でもあり、かつ若いスタッフへの信頼でもあったのだ。

今これをやれる教育者はいるだろうか?