そうか、まずこれを挙げる必要があるか。

オタクという「病」を、僕が最初に指摘したエントリー。

 

奇しくもこの前、「京アニ事件」の話になって、この質問をした某後輩に、3年の時を越え全く同じ質問を受けた。

「アニメって、やっぱりおかしい人間を生むんですかねぇ?」

僕は同じように、

「いや、アニメに罪はない。ただ、おかしな人間を招き寄せるんだよ」

と、答えるしかなかった。

 

しかし、これは取り繕った言い訳で、実は既にアニメの「原罪」を気付き、語り始めている。

難しい。アニメは岐路に来ている。

 

そんなのも含め、僕の「オタク」論の端緒となった以下の文章を読んでほしい。

 

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( 2016/8/25 15:13 エントリー)

 


この間アニメ関係の後輩から、
「アニメオタクってなんで皆一様にキモいんですかね?」
というミもフタもない質問を受けて、さぁどう回答しようか、むやみに賛成しても反対してもオタク、というか俺のキモさが炸裂するだけだぞ、と思って慎重に言葉を選んだ。


とりあえず「アニメに罪はない」と前置きした。


「アニメは麻薬やギャンブルになりうる」という記事を最近読んだばかりだが、確かにその可能性はある。でもそれでもアニメは麻薬やギャンブルとイコールではない。
システムが違うし、効能も違う。

アニメはやはり音楽や絵画、映画、演劇など、さまざまな芸術・芸能ジャンルの中のひとつである訳で、どれにハマってもダメ人間になる可能性はあるが、「こんなの観てるからアホになるんや!」というのは、昭和のオカンだけにしてほしい。
さすがに時代遅れだ。


「だからアニメがそういう人種を生み出しているという仕組みはないんだ」

と、ただそう前置きした上で、

「でも確かにアニメは、そういう『キモい』人間を呼び寄せる力がある」
と結論づけた。


その後こうつないだ。
「オタクは自分の欠損やコンプレックスをアニメのせいにするんだ、責任転嫁するんだ」
その後輩は一度聞いても理解できなかったのだが、我ながら、この理屈はかなり説得力があると思う。


自分自身の身体的・精神的なコンプレックスを、もっとありていに言えば、自分が「モテない」ことを、アニメにハマることによって「俺はアニメが好きだからモテないんだ」と、責任転嫁する。
自分の不遇をアニメのせいにする。


こういった心理は昔からあるし、今もあると思う。
「今が最高!」で取り上げた『怨念戦隊ルサンチマン』などは、それがテーマの根幹にある作品だ。
「クッソーオタクをバカにしやがって!モテてるパンピー(リア充)と俺らとは違うんじゃ!!!」
といって、過度にオタク文化を持ち上げる。
しかしそれは実はオタク文化(にしがみついている自分)に対する後ろめたさの裏返しになっている。
「モテないのはアニメのせい」という倒錯的な心理が潜んでいる。

「モテない」とひとくくりにすると、「オタクだって今はモテているぞ!」という短絡的な反論が来そうなので、「モテない」というのはひとつの象徴的な「症状」で、なんか周りと上手くコミュニケーションできないとか、キモがられているとか、自分は周りの人間とは生態が違うらしいと自覚があるとか、そういうことでいい。


でも当たり前の話だが、元をただせば大多数の大部分が「本人のせい」である。
何を隠そう僕自身もそうだし、僕が長年知り合ってきた「オタク」達も、皆そうだ。

僕は、「自分はアニメが好きだからダメなんだ、ダメでいい」という心理・心性を、中学・高校・大学と自ら実証している。
幸いにして周りの友人達のおかげで、ちょっとずつ治癒させてもらったのだが・・・。
自分はアニメ好きだからモテなくてもいい、キモくてもいい。
アニメが呼び寄せたというよりかは、アニメが一種の「駆け込み寺」のようになっていたと言ってもいい。


だから「アニメのせいでモテない・差別される」という主張を、僕は認めない。
「アニメは今や差別してはいけない!差別する奴はただのヘイターだ!」
これは誰だって納得してもらえるだろう。
しかし「オタクをアニメ好きだからって差別するな!」という主張には、異論を挟みたい。
「それアニメのせいじゃなくて、あなたのせいじゃないの?」


そろそろ、「アニメ」と「オタク」というものを、明確に切り離すべき時代に来たのではないだろうか。
「オタク」は再定義されるべき時に来ているのではないか?


僕は今こそ、「オタク」とは「病」のことである、と定義したい。


「オタク」という語は今や「アニメ好き」「ゲーム好き」「アイドル好き」「その他サブカル文化好き」の総称ではない。
「病」なのだ。


ここで議論が「オタク・イズ・デッド」に通底する。
「オタク」という文化民族は10年前に死に絶えた。岡田斗司夫氏が宣言した通りだ。


定義しよう、「オタク」とは、自分の欠損やコンプレックスをアニメその他オタク・サブカル文化になすりつけ、「俺がクズなのはアニメのせい」と、責任転嫁した上でその責任感から逃れ安穏とし、自らの根源的な「原罪」を直視しない、「病」のことだ。


その「病」がアニメを長きにわたって蝕み、「死んだ」も同然の姿としてしまった。
それを語ったのが先月の「アニメ・イズ・デッド」だ。


Twitterで今日もプロフィール欄に「〇〇(アニメキャラ)に中出ししたい」「〇〇(女性声優)の膣肉になりたい」と書いた輩が、アニメ作品や業界やスタッフを糾弾し、吊し上げようとしている。
異常なのはアニメではない、お前だ。
アニメを隠れ蓑にして何してやがる。


今こそみんな「オタク」から距離を置き、「オタク」と名乗るのを止め、「アニメファン」「ゲームファン」「声優ファン」「アイドルファン」として、真っ当な生き方を考え、自分を律すべきなのではないだろうか?
自分を「オタク」と同一視されるのを避け、「自分はオタクではない!」と、倫理感をもって宣言すべきなのではないだろうか?



みんな、「オタク」から逃げ出そう。