僕は最近「ポタク」という造語を使わなくなっている。
「マニアとオタク」で触れた通り、あれ?造語を作らなくても、マニアとオタクでいけるんじゃね?と思ったからだ。
ちょっとややこしくなったが、まぁ併用していこう。
オタクの更に悪質なのがポタクだ。進化形だ。そんな感じ。
それはまぁいいとして、昨今の人気アニメが、酷い。
『ケムリクサ』と『のけものフレンズ』との仁義なき戦い、『劇場版ラブライブ!サンシャイン!!』の失速と、一見すると制作者・製作者側の問題に見えるかも知れない。
しかし、僕はそう思わない。
ここで大きな影響を与えているのが、「オタク」という存在だ。
オタクはアニメを滅ぼす。改めて、そう断言しよう。
ちょっと歴史を遡ろう。
昔はネット上、たとえば2ちゃんねるでも信者とアンチ、同じスレで議論し合っていた。
それはもう、今と比べれば真面目で愛のあるものだった。
それがある日、運営が「それぞれの作品で本スレとアンチスレ、ちゃんと分けましょう」と言い出した(と記憶する)。
僕は、そこから潮目が変わったと感じている。
信者とアンチ、意見は違えど同じ屋根の下にいた人間が、強制的に分けられたのだ。
そうなると何が起こったか?
「多数派争い」だ。
今に至るまで連綿と続く、作品の評価を度外視した「多数決ゲーム」は、ここから始まったのだ。
次第にその作品が好きか?嫌いか?ではなく、どっちに付くか?という方に興味が移った。
そうなると信者よりアンチの方が声がでかく、しつこい。
どんなアニメでも、結局アンチが勝つ。
制作者は信者ではなく、知らず知らずの内にアンチに気を遣ってアニメを作るようになった。
これじゃあもう、何のために作ってんだか解らない。
ネットの20年をじっくり見てきて、これだけは感じる。
今、アニメ業界はどっちを向いてアニメを作ればいいのか、さっぱり解らないのだ。
気が付けばアンチの方にばかり媚びを売るという、珍妙な事態に陥るようになった。
どうしてアンチに向いてるのお前ら?
僕はこれで、首を何度も切られた。
この「アンチに媚びる」という姿勢が抜けることなく、今の多くの人気作にまで影響が及んでいる。
僕はここでの「アンチ」とは、もはや作品を批判する正しい意味でのアンチではなく、アニメを自分の気分次第で牛耳りたい、邪な意思の持ち主だと考える。
それが所謂「ポタク」である。
彼らはアニメを愛してなんかいない。
自分がマウントを取って優越感に浸るために、アニメを利用しているだけである。
だからアニメに一銭も金を落とさない。代わりに強圧的にアニメを罵る。
そして業界はその声に怯え、何度も判断ミスを繰り返す。
その傾向が極まったのが、ここ数年である。
で、僕が『劇場版サンシャイン!!』を引き合いに出してアニメを案じただけで、Twitterまでも支配下に置いたポタクどもが暴れる始末。
そういうことなのだ。
『サンシャイン!!』も『けもフレ』もそうだが、本当にそれぞれの作品を愛し込んだ人間が、こんなに狂気に満ちた行動に出るだろうか?
僕はそうは思わない。
アニメを利用して自分の狂気を思う存分撒き散らす、ポタクがいるのだ。
それはアンチにも、そしてファンにも忍び込むようになった。
僕は改めて、ポタクの殲滅にはまだまだ遠い道のりなので、せめてポタクとアニフィルの選別だけはできまいかと、考えるようになった。
僕がオタク批判をするたびに「ヤマカンはアニメ監督の癖にオタクを批判するなんて!」なんてことを吐く連中がいるが、あれあれあれ?
いつからアニメはオタクの持ち物になったの?
オタクでなくてもアニメを観ていいはずだ。
「僕はアニメ観てるけどオタクじゃない!」と言い張ってもいいはずだ。
しかし、今や「アニメを観てたら自動的にオタク」、そして「オタクだったら狂気の塊と化した俺達と同族」という、真摯にアニメを愛する人々まで仲間につけ、いや隷属させようとしているのだ。
どうしようもなく、悪質だ。
こんな時代は、一刻も早く抜け出さないと、アニメは間違いなく滅ぶ。
今こそポタクとアニフィル、いや「アンチと信者」を峻別し、アニメが狂気に飲み込まれるのを護らなければならない。
「私をあんなキチガイどもと一緒にするな!」という、決然とした宣言がなければならない。
アニメを利用したいだけの人間どもに弄ばれることなく、しっかり愛してあげなければならない。
でなければ、アニメは滅ぶ。
何度でも言おう。
アニメを救うことができるのは、アニメを愛する者達だけなのだ。
今はアニメを利用するだけの魑魅魍魎が多すぎる。
心ある人の蜂起を切にお願いしたい。