身元が判明するまでは、僕も黙ってた。

しかし、身元が判明し、やはりと言うか何と言うか、僕の大切な人が亡くなった。

 

ここからはスイッチを入れた。

やれることは全部やろう、と。

 

元々何年も前から「師匠の名はアニメ史にちゃんと刻むんだ!」と、繰り返し吹聴してきた。

その延長だ。何が悪い?

 

京アニの人間はそれでなくても秘匿性の高い人が多いから、情報がなさ過ぎて、京アニの全貌が変に認識される恐れがある。

マスコミに出回っている師匠の写真は、若すぎて僕が観ても誰?の状態だ。

あれは替えたい。

 

マスコミが関係者の傷口をいじるのと、僕が思い出と(ある時期の)あの会社を語るのとは、全然違う。

むしろ一緒にする方が不思議だ。

 

と言うのも、オタクが案の定ぬけぬけと「お前は静かに追悼してろ!」とかぬかしているようだが、

違うだろ?自分たちの犯罪性を知られぬよう、黙って事件ごとまるごと忘れていってほしいだけだろ?

 

絶対忘れさせねぇよ。

「日本フィルアニマチオン」の復活も含め、オタクの異常性は今後どんどん糾弾していく。

 

 

僕はこの事件を、単なる「身内の不幸」と捉える気はない。

そこに閉じ込めるのはもはや不可能だ。

 

だったら変な憶測が飛び交う前に、京アニの確かな姿を刻印するしかない。

遺族を傷つけるようなことがあってはならないし、それはいつも恐ろしい。

それでも、やる。