もう身分的に立場が保証されていると勘違いしている前田久などのコバエは放っておいて、じゃあなぜ評論家が偉いのか?考えてみよう。

 

それはもう一点しかない。

「批評した相手に貢献した」からだ。

 

例えば無名の料理屋がある。

そこへふらっと料理評論家がやってくる。

食べて気に入る。そして雑誌や何かで吹聴する。

するとそれを見たお客でごった返す。

 

そこで初めて、店主は「先生、話題にしてくれてありがとうございます」と言えるのだ。

それはギブ&テイクの関係から生まれた敬意に過ぎない。

 

海原雄山とて北大路魯山人とて、「大家に認められる」ことがステータスとなるから、偉そうに振舞えるのだ。

前田久ごときの小物では何度死んでも決してできない。

 

蓮実重彦も映画評論家の役目をこう語っている。

「とにかく一人でも多くの客を劇場に向かわせる。それだけが評論家の仕事だ」

 

アニメにはこうした人物はひとりもいない。

みんなアニメについて偉そうに語ることが当然だと思っている。

それはポタクと化したオタク第三世代の狂暴な振舞いと全く変わらない。

 

 

アニメには最低限の社会性も、最低限筋の通った人間関係も存在しないのだ。

非社会的なオタクが巣食うだけの醜悪な場、それが今のアニメ業界だ。