オタクは劣化したと考えるようになった。
なぜか?
それはもう何度も引用している岡田斗司夫さんの「オタク・イズ・デッド」を詳細に分析して解った。
オタクは劣化した。
かつては「子供が見るようなものを大人になってからも楽しんでいる異様な種族」がオタク(第一世代)だった。
彼らは自分の異様さに自覚的だった。
しかしそれは、深い知識と教養によって容易にはねのけられる、強靭な精神力によってむしろ「ノブレス・オブリージュ」として、自分の高貴さを示すものとして利用していた。
彼らに劣等感などなかった。
しかし例の「宮﨑勤事件」から、流れは変わった。
「オタク=犯罪者」というレッテルが巷に出回り、オタク(第二世代)はそれを払拭するため、自衛の戦いに打って出るしかなかった。
しかしここでもまだ、強靭な知性と理性による理論武装で、アニメとオタクの正当性をまっとうに訴えるべく、世間と対峙していた。
それがオタク(第三世代)になって、一変した。
「オタク=変人」という先入観が蔓延したお陰で、「俺の異常さをアニメは救ってくれる!」と勘違いし、それがオタク社会にどっと流入したのだ。
ここで主客が逆転する。
「アニメを愛するために自分を肯定する」のではなく、「自分を肯定するためにアニメがある」と、思い込んだのだ。
アニメへの愛は、ここで放置されるようになる。
やがてそれがエスカレートし、「俺達のためにアニメはあるんだ!」「どうしてアニメは俺達を気持ちよく生きさせられないんだ!」という、本末転倒の倒錯的な要求に繋がった。
そして今に至る。
オタクは確実に劣化した。
彼らは「アニメを愛するために自分がいる」のではなく、「自分が気持ちよく生きるためにアニメがある」と、信じて疑わないのだ。
歴史が彼らをそうさせた。
時計の針は元に戻せるのか、絶望的な気持ちになる。
いや、正直に言おう、もう戻らない。
オタクの劣化はそのままアニメの劣化に繋がる。繋がらざるを得ない。
これもまた、もう戻らない運命なのだろう。