「正しいことをしている人が報われない世の中でも、正しいことをしている人が損をしてしまう世の中ではあってはいけないと、私は思います」

山口真帆

 

新しい元号、令和の開始をお慶び申し上げます。

 

まぁ一瞬の気休めだと思いますがね……。

 

 

しかし、平成最後のアフォリズムは、やはりと言うか何と言うか、たったひとりのアイドルの口から生まれた。

令和はここからのスタートだ。

 

平成は「みんなが何とか生きられる世の中」になったと思う。それはそれで良いことだった。

しかしこの貧富の差。果たして「生きている」だけでいいのか?

憲法に「健康で文化的な最低限度の生活」と明記してあるが、実現されているのか?

 

と、 NHK「平成最後の晩餐」を観て、痛切に思った。

 

令和は「ただ生きて行ければいい」だけでなく、更に「正しいことをしている人が損をしない」世の中であるべきなのだ。

 

「何とか生きる」のではなく、「正しく生きる」ことがより大事になるだろう。

でなければ、この国は生ける屍ばかりになる。

 

 

こればかりは、ネットであれやこれやを粘着質に叩き、マトモに労働しているとは思えないヒキオタにも同様に言えるだろう。

いつもは絶えず忌避したくなる存在だが、彼らにも「正しい」ことをしていれば「損をしない」世の中であるべきなのだ。

 

 

決して諦めてはいけない。

でなければこの国からまた「正義」や「正論」や「理性」「知性」が消え、この国の愚かな国民はあっという間にムラ社会型全体主義に走り、あり得ない戦争や暴挙、浮かれた熱狂のままになんでもするようになるだろう。

令和が先祖返りし、「生きることに精一杯」「死と隣り合わせ」なだけの時代になる可能性はおおいにあり得る。

 

 

令和の課題はもう明示されている。

「正しいことをしている人が損をしない」。