1と1が並ぶ日は、
阪神淡路大震災を
今、残念な知事で問題視されてる、
兵庫県尼崎で被災経験した私には、
ちょっと気がかりな日。
何事も無く、恙無しであらん事を願う。
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ふと最近思い出した話。
暗い話なので、パスしてくださって結構です。
35年ぐらい前か?
10代の終わりか、
二十歳になった頃か、
私の いわゆる本家筋の方の、
親戚の子の見舞いに行ったことがある。
訳もわからず、
ただ母に連れられバスに乗り、
行ったこともない病院へ訪問だったが、
一般病棟ではなかった。
ICUであっただろうか??
カラダに色々なチューブか付けられ、
やせ衰えていた男の子。
当時の私より2~3歳年下だと記憶している。
その子の母親が、
付き添い入院して看病していた。
病名は、筋ジストロフィーだったはず。
筋ジストロフィー(指定難病113)
リンクが添付出来ない。
話すこともままならず、
カラダもほとんど動かせなかった。
硬直した細く白い指先に、
血液中の酸素濃度を測る、
パルスオキシメーターをつけていたのを
よく覚えているが、
入院中の今、
毎日の計測で、
付き合う羽目になってる訳で。
実に初めて会う親戚の子であったので、
とりあえず自己紹介をしたことを覚えているが、
今思えば少々間抜けに感じてしまう。
それ以外、何も言えなかった。
病床の身に、ふれることすら、ためらってしまった。
じきに、ベットに横たわるその子が、
小さく呻き声を上げる。
するとその子の母親が、「測定器が痛いのよ。」
静かにつぶやき、我が子の指先のパルスオキシメーターを、
一度はずし、すぐ少し向きを変えて、再度装着させた。
洗濯バサミの何十分の一もない、圧迫も、
彼にとっては、とてつもない苦痛だったに違いない。
30分もない邂逅、
挨拶をしてその場を辞した。
母は、私に、ほとんど何も言わなかった。
懸命に生きる命を、私に見せたかったのか?
五体満足な身体のありがたみを知らせたかったのか?
いろいろ尋ねるのも、はばかれる感じがして、
何も聞けず、何も言えなかった。
・・・・・・
その半年後くらいに、
その彼が天に召されたと聞かされた。
涙もろい私だが、悲しみよりも、
痛々しげな様子だった彼が、
ようやく全ての苦痛から解放されたのだと、
そう思えて仕方がなかった。
それから20数年、
私より若い従兄弟を
2人、病気で亡くした。
この両方の時は、
さすがにこたえた。
ボロボロに大泣きをした。
お時間ございましたら、
私は、
自分の生きている価値を、
どうにかして見出したくて、
這いつくばって、
もがき あえいで、
苦悶と自問自答を繰り返し、
足掻いてるような気がする。