どうも、かんころですキラキラ



先日のこちらの記事に

コメントをいただきました。

 


◆まだの方はぜひ御一読ください◆



 

いろんな意見はあっていい。

同じ山でも登り方は様々だから。

 


 

でも、取り違えは避けたいので

今日はもう少しここを掘り下げます。

 


まず最初にやってほしいことは

「好き」に降参、これは自分の中でです。

 


 

「好き」をやたらめったら相手に

伝えるという意味では書いていません。

 

 

 

ここまではいいですか^^?




でね、

 

 

 

「好き、だから一緒に居たいな」という

愛をベースに願うパターンと、

 


 

好きをすっとばして

「とにかく手に入れたい」という

回収をベースに願うパターンとでは

 

 


行動の質はもちろん、顔付きや

オーラも全然違うんです。

 

 


どちらの方が相手を、そして自分を

大切にできるか、もうわかりますね^^?

 

 


それに、もしその彼とタイミングが

合わなかったとしても

 



 愛をベースに行動できる人

彼に負けないくらい愛のある人と

必ず引き合いが生まれます。




だから私はここを見落としたくないな、

とお伝えしている次第なんです。




今回はこう思うことに繋がった

エピソードをお話してもいいですか^^?

 

 

 

ここから先は【閲覧注意】です。

私なりの見解をお伝えします。




人によってはご気分を悪くされるかもしれません。

今日の感性に合わない場合はお戻りください。

また、勇気を出して書いていますが、私としても意に沿わない場合はこの記事を削除します。重く感じるエピソードかもしれませんが、私は元気なのでご心配無用です。これからも楽しいテイストだったり、しっとりしたテイストだったりする「生きている」かんころブログ見守っていただければ幸いです。今後ともよろしくお願いします^^

 


 

なぜ私がこんなに愛ベース

こだわっているのか。

 

 

 

さかのぼれば、私が

10代の頃の出来事です。

 

 

 

ある寒い冬の日の夜。

 

 


当時の私は徒歩10分ほどの

本屋さんに向かって歩いていました。

 

 


その本屋さんは

正規のルートでいくと遠回りで




薄暗い土手を通る近道で

向かうことにしました。

 

 


昼間はその道を利用する人も多く

その日の私はなんの違和感もなくその道を

ただただ、歩いていました。

 

 


その土手の半分くらいを

進んだ頃でしょうか。

 

 


ドン。

 

 


鈍い音がして、気づけば私の頬っぺたには

冷たい土が当たっていました。

 


 

そして、カラダが重い。

 


 

手足の自由がきかない。

 

 


押しつぶされて、体中に

砂粒が擦れて、痛い。

 

 


太ももには砂まみれで冷たい手が

強く差し込まれている。

 

 


その重みの正体は

大柄のおじさんでした。

 

 


見たことも、会ったこともない人でした。

 

 


きっとそれは、世間的に

婦女暴行というものだったと思います。




・・・

 


 

「怒り」という映画を知っていますか?

 


 

まさにあの広瀬すずさんが

演じきった、それです。

 

 


この映画がリアルだなと思ったのが

当時の私がおじさんに抑え込まれたときと

全く同じ体制だったことでした。




・・・

 

 


ほんの数分後に

私はゴミになっていました。

 

 


冷たい土と一緒に

寝ていました。

 


 

その後、警察に連絡したものの

「防犯カメラもないし、わからない。

なんでこんな道、一人で通ったの」




でした。

 

 


ああ、そうだな、と思って

私は小さくなったことを覚えています。

 



・・・




回想はここまでですが

私がこんな話をしたのは




私のことをカワイソウと思って

ほしいからではないです。

 

 

 

考えてほしいのは、ここから。

 

 


あの時、あのおじさんはなぜ

こんなことができたのかってこと。

 

 


・・・



 

それはね

 

 

 

おじさんが、私のことを




・・・

 

 

 

「道具」だと思ってたから

 

 

 

です。




少なくとも私はおじさんにとって

「人」ではありませんでした。




おじさんの何かを

満たすための「道具」でした。

 

 

 

人って、人を「道具」だと思うと

何でもできてしまうんだな

 

 

 

と思ったのを覚えています。

 

 

 

極端すぎるエピソードを

お話しましたが、私のコトバの

根っこにはココがあります。




(私自身、この考えに至るのに

時間がかかっています。)

 


だからね

 

 

 

【美女と野獣】のガストンが

無理にベルを振り向かせようと

力づくでするのが、怖い。

 

 


愛ベースで行動するなら

こんなこと、しないでしょう。

 

 


でも道具だと思ってるから

ベルの幸せなんて、考えない。

 

 


それは回りまわって、

自分さえも幸せにしてないよね。

 

 


こんなやり方じゃあ、

男も女も心を通わせない。




動く心も、動かないよ。



大切な彼だからこそ

不安を埋める「道具」にしない。



 

「好き」だから、という

あたたかさを忘れないこと。

 



「愛」ベースで進むのか

「道具」ベースで進むのか



 

これが、大きな分かれ道。

 

 

 

私のつたない文章で

どこまで伝わったかが心配ですが




お付き合いいただき

ありがとうございました。




恋をするあなたへ

恋をしたいあなたへ

 

 

 

「好き」という気持ちがあれば

それを大事に、大事に、されてください

 

 

 

これから恋をする過程で

不安になったり、戸惑ったりすることも

きっと、きっと、あるだろうけど

 

 

 

それでも、その恋に進みたいなら

「好き」のあたたかさを忘れないで

 

 

 

彼がくれた「好き」が明かりとなって

あなたを「道具使い」にさせません

 

 

 

すでに彼は、あなたのことを

守ってくれていたんです

 

 


 ・・・




これからもあなたは

間違ってもいい




わからなくてもいい




でも、

 

 

 

「愛」だけは置いていかないこと

 


ご縁のあるあなたに

大きなエールを贈ります

 


 

今日の世界も主役はあなたキラキラ

 

 


かんころよりピンク薔薇