昨日夕方、親戚の女性から珍しくLINEが来て

 見ると、ボクの両親の墓に花を供えてる写真と

 「もう、おじさんが亡くなって26年、

  おばさんが亡くなって36年にもなるんですね」

 そんな文章が添えてあって。

 

 久しぶりに見る両親が眠る墓の写真を見ながら

 随分とご無沙汰してるなあ、なんて感慨に耽って。

 でも、親不孝なボクはいつも

 「亡くなった方への1番の供養は、その人を想い

  その人の思い出話をすることだから」

 なんて墓参りしないことを弁解してるわけで。

 

 子供の頃は当然だけど

 両親が亡くなる時が来るなんて考えもしなかった。

 

 でもどんなに口うるさく面倒だと思う人でも

 とっても優しくて神様みたいな人でも

 いつかは天国に招かれ、別れの時は来る。

 

 そんな事を考えてたら

 なんか、人が生まれて来る偶然というもが

 なんか神秘の出来事のように思えてきて。

 

 石川県出身の父、

 戦争から無事に帰還し、大学で紹介された

 東京の中野にあった病院に就職。

 宮城県出身の母は

 北海道の旭川の医院で働いていたが

 知り合いの紹介で父の居る病院に転職する。

 そこで無口で無愛想な父と、

 気は小さいが世話好きで

 負けず嫌いな母が知り合う。

 そこにはいろんなドラマがあったはずで

 そしていろんな偶然が積み重さなって

 二人は結ばれ、結婚して

 兄が生まれ、その2年後にボクが生まれる。

 

 そこで、ボクが生まれた時の事を

 ちょっと科学的に考えてみると

 父は当時健康体だったはずだから

 精巣は通常通りの活動をしていて

 平均的に考えて毎日

 1億2000万個ほどの精子を作っていたはずで

 そうすると、20〜30代の頃は

 3日に1回ほど射精してたと考えると

 2〜4CCのその精液の中に

 約3億個の精子が存在していたわけで。

 

 その3億の精子の中の1匹が

 たまたま母の卵子と出会い、受精するという

 偶然の不思議。

 その射精が1時間後だったら

 その時もう少し母の体制が

 どちらかに傾いていたら、

 もしかして受精したのはボクじゃなくて

 別の精子だったかもしれないわけで。

 

 こんな風に親子の出会いだって、

 偶然の不思議な積み重ねがあって成立してる。

 そんな事を考えると、親友との出会いだって

 恋する人との出会いだって

 皆、あり得ないような偶然の積み重ねがあって

 深い関係が出来上がっているわけだ。

 

 でもさ、出会いは全て偶然だけど

 どんな出会いにも別れがあって

 その別れは必然なんだよね。

 

 今日はなんか変な話になっちゃったけど

 まあ、こんな日もあるか(笑)。