今読んでいる小説の会話の中に興味深い話が出て来た。
 それは、昔話には親の世代が出てこないということ。
 例えば「桃太郎」や「かぐや姫」を見つけてきたのは、お爺さんやお婆さんで、お父さんやお母さんじゃない。
 
 その理由について兄弟が語り合うわけだが、
 長男は「その方が昔話っぽいからじゃないか・・・」と感想を述べた。
 しかし次男は「例えば桃太郎の父親は酒癖も女癖も悪い。家族の財産も奪って好き勝手に暴れる。だからあの話の鬼っていうのは父親なのだ。それで息子が鬼である父を退治に行くというのが真実。そのままは書けないから鬼退治の美談に仕上げた・・・」と自説を展開した。
 
 そこでボクが思ったことは、想像というのは、本来こういう風に膨らませるのが知的で楽しく、そして正しいということ。
 公園で揉めている男女を見て、下品な妄想を膨らませるのは楽しいけれど、やっぱり知的じゃないしむなしいのだ。