今朝、日本テレ ビの「ズームイン朝」を見ていたら、放送開始から30周年ということで、長嶋監督や徳光さんの懐かしい映像が流れていた。
そんな映像を眺めていたら、30年前の生活の断片を思い出した。
恥ずかしながら30年前のボクは、すでに25歳になっていたにもかかわらず、まだ学生だった。それなのに、新宿の4畳半のアパートで生意気にも同棲生活を始めていたのだ。
古道具屋で買った980円の炊飯器でご飯を炊き、3000円ほどで買った白黒テレビで「ズームイン朝」を見ていたと思う。
その大学は、朝から夕方までびっちりと授業があったため、出来るバイトが限られ、深夜の地下鉄工事の穴堀り手伝い、それに1通5円の封書の宛名書きが主な収入源だった。その時、「キミの宛名書きは字が丁寧で間違いがほとんどないから、ギャラを1通7円にしてあげる」などと褒められて、有頂天になったという記憶がある。しかし7円になったからと言って、渡される封筒の数は限られていたから、毎月、2万3千円の家賃分くらいしか稼げなかったと思う。
ボクの現在も続くミミッチイ生活の原点は、そんな所にあったのだ。
そんな映像を眺めていたら、30年前の生活の断片を思い出した。
恥ずかしながら30年前のボクは、すでに25歳になっていたにもかかわらず、まだ学生だった。それなのに、新宿の4畳半のアパートで生意気にも同棲生活を始めていたのだ。
古道具屋で買った980円の炊飯器でご飯を炊き、3000円ほどで買った白黒テレビで「ズームイン朝」を見ていたと思う。
その大学は、朝から夕方までびっちりと授業があったため、出来るバイトが限られ、深夜の地下鉄工事の穴堀り手伝い、それに1通5円の封書の宛名書きが主な収入源だった。その時、「キミの宛名書きは字が丁寧で間違いがほとんどないから、ギャラを1通7円にしてあげる」などと褒められて、有頂天になったという記憶がある。しかし7円になったからと言って、渡される封筒の数は限られていたから、毎月、2万3千円の家賃分くらいしか稼げなかったと思う。
ボクの現在も続くミミッチイ生活の原点は、そんな所にあったのだ。