そして、事件は起こった------
最初の異変に気づいたのは彼女のクラスメイトで友達の宍戸だった。
「あれ…あいつがいない」
掃除から帰ってきた宍戸は、後ろの席にまだかばんが置いてあることに気が付いた。
いつもならもう帰っているか日直日誌を書いているのに。
そういえば五時限目と六時限目の間の休み時間、彼女は珍しく女子としゃべっているのを見たのを思い出した。
少し、嫌な予感がする。
「…一応、報告しとくか」
学校一有名で人気のある男の彼女だ、もしかしたら陰湿ないじめにでもあっているかもしれない。
そう感じた宍戸は部活で会うついでだと、跡部にこの事を話す事にした。
そして、宍戸が跡部にその異変を告げると、跡部は驚いた様に目を見開いた。
「おい、宍戸。お前あいつとしゃべってたやつの顔覚えてるか?」
「え? ああ…えっと、なんか性格悪そうな顔してて…」
それだけを聞くと跡部は部室のドアを思い切り開けた。
「んだよっ…泣く前に言えよなっ…」
跡部は走りながら悪態を吐く。
なんでもっと早く気づいてやれなかったんだろう。
あの涙の意味を、なんでわからなかったのだろうと。
しかし、跡部の解釈は見事に外れていた。
「あのばかっ…!」
だが、跡部にその真意を伝える者は誰もいなかった。
その頃、跡部の彼女はイライラしていた。
囲まれている。一般人に。
旧校舎の屋上。普段人の寄り付かないそこは、絶好の呼び出しポイントであった。
「いい加減気づかないの?」
「はぁ…何がですか?」
彼女をかわいらしく小首を傾げてみた。相手はイライラした様子で怒鳴り声をあげる。
「ふざけないでよ!」
「だいたい跡部君があんたなんか本気にする訳ないじゃない!」
数は七人。口々に自分の事を罵倒しているらしい。
彼女はまたイライラした。
彼女には三本の理性の糸がある。その糸の一本がプツッと切れた。
「てか言いたいこと言いに私呼び出したの? それなら跡部君に直接抗議すればいいじゃない」
正論だ。しかしそんな理屈が彼女たちに通じる訳がない。
「貴方が景吾と別れてくれればいいのよ」
リーダー格らしい女が偉そうな口調でそう言った。
「あの人は、景吾は私の許婚なんだから。火遊びをやめて欲しいの」
「…身内の処理もできねぇのかよ。能無しが」
思わずそうつっこんでしまい、彼女は慌てて口を押さえる。
しかし、後の祭りらしく右頬にビンタが飛んだ。
少し痛みが走ったが、こんなのライブ中の肘鉄よりはるかに軽い。
数々の修羅場(京前)を何度も経験している彼女にとって、こんなビンタは蚊に刺された程度。
彼女はよろける事なく、頬を摩った。
許婚と名乗る女は顔を真っ赤にして怒っている。元々キツめの目がもっとつりあがっていた。
マイナー盤の狙いみたいな顔だな…。あ、それか京さん狙い。と、彼女はぼんやりと思った。
「あんたみたいな中流家庭の人間に景吾が釣り合う訳ないでしょ!」
中流って…じゃあmanaさまなら釣り合うのかよ? と、彼女は心の中でそう突っ込む。
「聞いたわよ。貴女でるとかいう変なバンド追っかけてるらしいじゃない」
「このこと隠してるみたいよね? バラされてもいいの?」
でる、変なバンド。と聞いた彼女の理性の糸がプツリと切れた。
「…くだらない話に引き合いにDir en greyを出さないでください」
「は?」
若干低くなった彼女の声に女子たちは少しだけ怯む。
「Dir en greyは、いえ京さんは関係ないじゃないですか。あんたたちみたいな下賎なクズにDir en greyという名前を呼ばれるだけで虫唾が走るんですけど。てか、京さんの事馬鹿にしてるんですか?そうですか?そうなんですか?」
もう一度ビンタが飛ぶ。うるさい。あんたのがクズじゃない!と罵られる。
「そんなクズが行ってるバンドなんてもっとクズじゃない!」
許婚女が言ったこの台詞で、三本目の糸が切れた。
「てめぇ今なんつった?」
「な、何よ!あんたなんか退学にしてやれるのよ?!」
そんな権力をかざしたとしても、理性を失った彼女が怯む訳もない。
「上等じゃない。やってみなさいよ。いいじゃん。まとめて相手してやろーじゃん」
そう言って彼女はブレザーを脱ぎ捨て腕をまくった。
「お前ら全っ員でかかってこぉおおぉい!!!!」
シャウトとともに許婚女に彼女は飛び掛った。
その腕には何かが書かれており、取り巻きがその文字を見た瞬間驚きで泣き出す女子もいた。
そこにはこう書かれていたのだ。
我 生 涯 京 虜 也
彼女は許婚女の髪の毛をひっぱり、全力でシャウト。
その姿はまさに鬼神。
気絶しかけた許婚女の髪の毛を掴み立ち上がると、彼女は呟いた。
「羅刹国…来る」
その時、出るに出られずにいた跡部がようやく屋上に飛び出した。
「落ち着け!」
彼女の脇を掴み止めに入ろうとするが彼女は許婚女の髪の毛を離し、跡部に裏拳をかます。
跡部は後ろに吹っ飛ばされ、彼女は怯え震える取り巻きたちに飛び掛っていた。
「礼・性・乖離 邪鬼…」
うわ言の様にそう呟きながら。
「で、結局どうなったん?」
跡部の頬にある大きなガーゼを見つめながら忍足は言った。
跡部は肩肘をつき、窓を見つめながら淡々と話出した。
「女どもは大騒ぎだったが病院に行くまでの怪我じゃなかった。顔には怪我が一つもなかったからな。それに、呼び出してあいつを殴ったから暴力事件なんて汚名が掛かったら向こうもまずいだろ? だからもみ消した」
「流石、手が早いなぁ」
「全員の口は封じた。怪我なんて言い訳もできるだろう。大事を取って今日はみんな休むみてぇだけど」
「しっかしあれやな。大人しい顔して、あの子もなかなかやな。どうするん? 別れるん?」
「…」
跡部はいつになく真剣な顔をして忍足の方を向く。
「止めに入って返り討ちだ。俺があいつの事気遣ってやれなかった…その罰がこれだ」
そう言ってあ跡部は頬の傷を指差した。
「だから、俺はこれからもずっと、あいつを守ってやると…心に誓った…もちろん婚約も解消だ」
「…は?」
「…正直惚れ直したぜ…あんな女世界中どこ探したっていやしねぇ…」
パリンッと、音を立てて忍足の眼鏡が割れる。
跡部の頬が、桃色に染まっていた。
「…」
その日、顔を傷だらけにして彼女は登校した。
宍戸は当然その姿に驚いたが、何よりも驚いたのが、服装だった。
リボンは外れており、大きく開いたワイシャツの胸元から黒いTシャツが覗いた。
スカートはこれでもかというくらい短い。
「お、おい…」
ざわついた教室の中、彼女はスタスタと自分の席にドカッと腰を下ろした。
「宍戸。おはよう」
「お、おう…」
事情は聞かされていたものの、彼女のあまりの変貌振りに宍戸は本気で動揺していた。
彼女はそんな宍戸の出す空気を読まず、鞄から一冊の雑誌を取り出す。
FOOL'S MATEと書かれた雑誌の表紙はおどろおどろしいバンドのらしきものが載っていた。
「宍戸ー」
雑誌のページをパラパラ捲りながら、彼女は呟く。
「…あたしもうどうでもよくなっちゃった」
彼女は顔を上げ、いつもより少しだけ幼い顔で笑った。