宝石を着替えると、出逢う人も変わります。
たった一つの宝石が、人生をかえるかも しれません
【貴女の価値を引き上げて見せる宝石を選びます】
広島の宝石コーディネーター 林 佳代です。
真珠 イコール 宝石 ではありますが
真珠 イコール 宝石として価値の在る物 ではありません
えええ? どーうゆー事???
では、ちょいと話を聴いていただけますか
真珠はご存知の通り、貝の体の中で作られます。生きた貝の体の中に、こーんな丸い球状の「核」と呼ばれるモノを埋め込みます。
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(左が「核」右は完成品の「真珠」)
これは、人間で例えると、げんこつのグウーを口から押し込まれるほど、負荷のかかることなので、うまいことやらんと、「ゲボッ」っと核を吐き出したり、負荷に負けて貝が死んでしまったりするのです
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そして、うまいこと貝の体の中に取り込まれた核は、コロコロ転がりながら、キラキラした真珠層に幾重にも巻かれていきます。そしな風に1年前後の期間、海の中で凄し、貝の中から出されて、加工されて、細かくグレードに選別されて、私達が目にする真珠のネックレスやリングなどに作られるわけです。
ここ、長崎の壱岐島に、上村真珠という養殖場があります。
この春亡くなられた、先代の上村 治氏は、広島にも縁の深ーーーーい方でした。終戦をむかええた時、治氏は江田島の少年兵でした。焼け野原になった市内跡地を見るにつれ「陸のモノは何もかも燃えてダメになってしまった。これからは海のモノで仕事をしたい」と故郷の長崎に帰り、一から勉強する為に水産大学校に入学し、真珠養殖を一から学び、先では業界で先生と呼ばれる程研究熱心な養殖主となったのです
研究熱心、、、には、こんな事情もありました。
通常、真珠養殖の漁場は、川から土壌の栄養分が海に流れ込み、それがプランクトンのエサとなって、そのプランクトンを会が栄養として取りこむ という図式なのですが
上村さんの養殖場である壱岐の半城湾は、そこに流れ込む川がない!土壌の栄養が海に流れ出すのは、雨だのみといった、理想には程遠い条件だったのです
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それならば、、、と、この漁場に適した貝を自分の所で研究して育てようと。
そこが、今も続いている、真珠貝のあくなき研究の始まりでした。
ふつう 真珠の母貝となるあこや貝は、母貝業者といって、母貝を育てるの専門の業者から買ってきて、各養殖業者が自分の所で養殖するというのがこの業界の通例です
「そーんなカネのかかることして、アポちゃうか!」と業界仲間に一笑されたが、
そこで、ますます燃えるのが、海軍たたき上げの 「上村魂」(かみむらだましい)
今では、オスの貝と雌の貝を掛け合わせ、50ミクロン(1ミクロンは1/100)の赤ちゃん貝から母貝を育てる所~養殖~真珠加工まで、すべて自分の所で一貫してやるという、他にはない真珠の養殖場となっています研究プラントの建物の中では、赤ちゃん貝を育てるエサとなるプランクトンの養殖も自社でされている徹底ぶり。
よい、真珠は、「よい母親(母貝)」から生まれ「よい栄養」をとり、「よい環境」育つ
人間と同じく、実にまっとうな方法を 忠実に 忠実に 行っている
照り返しで悶絶しそうな夏も、冷たい海風で息が止まりそうになる冬も 365日 海上での作業は続けられ、そして、美しい真珠が日の目を見た時、汗が涙に変わると言う。
では、真珠が宝石の価値のあるモノでは 必ずしもない という事について
説明ししましょう
この業界では、輝きが強く、真円(完全な球のカタチ)が もてはやされる。
こういう珠は、養殖期間が短いと作りやすい。真珠層が薄い方が、真円からカタチが崩れないからだ。養殖期間が短いと、貝の自坊率は減るし、養殖場の使用回転率もあがるから、それで高く売れれば養殖場はメリットが大きい
だけど
宝石の条件は
①美しい ②稀少性 ③耐久性
養殖期間の短い 薄巻の真珠は、経年変化がとても速い。
中には数年で変色し、輝きがなくなる粗悪品もある
上村真珠では、断固として それを作らなかった。
養殖期間が1年を超すと、貝の死亡率は15%増える
それでも、 「厚く巻いていなければ、真珠ではない!」と養殖期間にこだわった
50ミクロンの赤ちゃん貝数億個 ⇒ 200万個/年の母貝に核入れし ⇒ 120万個の真珠が出来上がってくる。
歩留まりを計算すると、、、、
天文学的過ぎて、できません
その120万個の真珠を細かく選別し、その中のトリプルAランクの珠で作ったのが
生協でご紹介する 真珠ネックレス「壱岐物語」なのです。
作り手の熱いストーリーに心動き、それをお伝えできる事につくづく幸せを感じます。
興味のある方はコチラ⇒★★★