母の魂は偉大だが父の魂も同じだけ偉大 | 神・まぐわい極め道

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まぐわいをとうしてアラカン夫婦が本当の愛を循環させる世界平和に在り続けるブログ

ここ数日…。

新しい自分のステージの超総ざらい的な記憶とマインドの整理をしている感じている日々の
ファンキーシャーマンちづるです。

昨日のさとうみつろうさんのブログから
ぶぁ‼️っと浮上した『父の存在』。

 

 

今日はそんな父の話から紐解いていきましょう。


わたしの父は戦後『一旗上げる!』と、
中学卒業してすぐに、意気込み愛媛の山奥から大阪へ身一つで出て行きました。

そんな父は血気盛んでやんちゃだったのですが…。
 
父は13人キョウダイの下から2番目。

一番上の兄には、父と同じ歳の子供(つまり父の従兄弟)がいるくらいの家族構成でした。

父は、すぐ下の幼い弟を背負って(子守り)をしながら、小学校に通ったらしいのですが…。

そんなある意味虐げられた(ように感じていた)生活から抜け出すべく大阪(お姉さんが嫁いでいた)に出て行ったのです。
 
サラリーマンなどになる氣はサラサラなくて、
工場の勤務とかも絶対にできる人じゃなかった。

だから、建築系の職人になるところからスタートするも、ルックスもよくて、歌もうまかったので、
ギターを買って、1人で練習して、スナックやキャバレーをギター一本で歌い回る『流し』をしながら生きていました。

破天荒な人ですね😂

そんな父は夜の街でケンカをして、
そこから保護司であった祖父(母の実父)の下にやって来て、そこで母と知り合うのです。

 
昭和の大阪極道の3本の指に入る祖父の娘だった肝の据わった母。

破天荒極まりない貧しい山村から出てきたハングリーな父。

 
わたしはこの2人の下に何故選んでやってきたのか?

不思議でたまらないときがありました。

父のやんちゃのせいか?
母と父はそれはもう深いレベルでのいがみ合い。

父と母が仲良くしていた記憶は、1つくらいしかないぐらい。

それでも、私はこの人たちの元に生まれて
彼らなりに愛してもらい
わたしなりに成長して今に至るわけです。

コントロールという名の愛を与えてくれた母と

手も口も貸さないという愛をくれた父。

 
だけど、どうしても、
母と過ごす時間が多く
母の観念が強く染み込んでいた分、
父との記憶が本当に少ないわたし。

特に父は、口を出さないという人だったため、私との接点があまりなかった…。

だから、父から愛されている感じが全くと言って良いほどなかった私でした。

 
ですが、父は母と離婚してから
人生としては目も充てられないような感じになり、
アルコールに依存し、
女性に依存して生きていた父を『母の観念を通して見ていた私』は
本当に嫌でたまらなかったんです。

どうして私の父はこんなに情け無い人なの?

それを本人にすごい剣幕で捲し立てて、
父を怒鳴り散らしたこともありました。

そのときは、私が正しくて、弱くて寂しさに負けているように見えた父が間違っている!と思っていたのです。

そんな時も父は、黙って私の意見を聞いてくれてたなぁ、と
今ならしみじみと思うのです。

意見をただ聞くだけの父が、これまた弱く情け無く感じていたあの時の私。

これは『誰の目線』で父を見ていたのか、いまならハッキリわかります。

存在感が強い分母の影響を受けていたと思っていましたが
私の半分の血も遺伝子も父から来ている。

 
それは頭でわかっていても、
身に染みて感じ尽くすのには
かなり時間をかける事になりましたが…。
 

父は晩年、酔ったら言ってた言葉がありました。

『愛ってなんぞ?(なんなんだ?)』

当時の母の観念で物を決めつけて言っていた私は父に

『家族のことをほったらかしにして愛なんてわかるはずないやん!』と
偉そうに言ってたのです。

うん。恥ずかしい。
お父ちゃんごめんやで。

父は死ぬまで答えが出なかったようでした。

ここからは信じてくれる人だけ読んでください。

 
父が死んで7〜8年経ったとき、
私は父と対話ができたのです。

最初は幻聴か?私の勝手な思い込みの言葉か?と思ってしまいましたが、
紛れもなく父の声でした。

そのときに私は父に聞いたのです。

『お父ちゃん?そっちに行って(光に還って)、愛って何かわかったん?』と。

『おお!わかったぞ。
愛はなぁ。お前らじゃ。お前よ。
お前が生きてる限り、ワシはお前の中(記憶の中や身体の中)に居る。
それが愛じゃ。お前が生きてる限り、どんな状態でも愛やとわかったぞ。』

この言葉を聞いて、私も相当救われて、
かつ、氣づかされたのを覚えています。

 
 
さて。話しは長くなりましたが、
ネイティブアメリカンの教え

『この世の中で、誰一人あなたのことを考えなくなったら、 「あなた」の姿は消えてしまう』

おい!待て!

母の記憶だけしかなくて
母のことしか考えていなかったら
父は居なかったことになるんじゃない?

私の父は確かに居た。

のに、
なぜ感じようとしない??

父は
『お前らの記憶の中にいる限り愛されている』と言ってたのに、
記憶を辿らないで
母との葛藤だけを紐解いて本当にバランスの取れたセルフパートナーシップと言えるのか?

今朝、じわりお浮上した大きな氣づきに変わりました。

お父ちゃん。

これを教えてくれたかったんやね。

ありがとう。

父(男性性)を軽んじてはいけないし
忘れちゃいけない。

本当の女性性の開花とは
男性性をも融合させて
愛と感謝の中に生きることこそが
本当の女性開花なのだろう。

そして、そんな本当に開花させた女性性こそが
これからの風の時代が待ってくれているモノなのだろう。

 
私はファンキーを好むので
こんな表現になりますが



誰しもの中にある

『愛されていたことを忘れがちになるもの』

を掘り起こしていく時代。

それがやってきましたね。

 

☆☆☆

 

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この記事を書く人

ファンキーシャーマンちづる

日本のファンキーなナチュラルジャーナリスト
大阪で生まれ育ち、建築士として建築業の会社に入社。バブルとともに建築業会から弾かれてのち、「自分は何のために生まれてきたのか」ということに思い悩みんだ。
同時に、自分を含めて現代の常識という枠の強さとそれに縛られる人たちを見て葛藤・苦悩し、
「世界平和のためには、1人1人の氣付きこそが平和だ!」にたどり着き その想いとビジョンだけを頼りに、型破りな発想と行動を起こして現代の常識に真っ向から笑ってチャレンジする。 
2004年からのスピリチュアルカウンセリング経験から独自の氣づきで受け取ったものを多角的な視点で表現。 
自然から感じ取るジャーナリズム精神で生き、真実を伝えることが本当の喜び。 現在では自然にふれあいながら、多くの人たちが集う型破りなまつりの企画や「笑家村プロジェクト」を手がけている。西土佐在住。でも多拠点生活。伴侶と日本を飛び回るアラカン主婦。 
真実×笑い×伝播=まつり/真実×笑い×伝授=セミナー/真実×笑い×伝達=インターネットラジオ/真実×笑い×悩み解決=スピリチュアルカウンセリング などをこなす風の時代の超マルチプレイヤー