では本題へ入ります
急ですが
『ブッダ』の話をしてみよう
(細かい話はこんな感じぐらいで
出来ないので
ニュアンスだけ感じていただきたい)
ある日ブッダがお弟子さんに
托鉢をするように言った
問題です
そのときあなたならどういうお家に
托鉢しにいくだろうか?
チクタクチクタクチーン
私:『お金持ちな人んとこにいくー』
であった
そして答えは
『お金なんて絶対にない、
貧乏長屋へ行け』
と言われたそうな
お弟子さんたちは
私と同じ
『そんなところに行ったって
くれるわけがない』
しかしながら
ブッダさんは言った
『そうした人だからこそ
1粒でもいいから何かを人に【与える】という
気持ちを引き出さなければならない』
このお話どう思われるでしょうか?
ワタクシはいたく感動した
↓先日、投稿したこちら↓
こちらの『補足』のような
投稿に今回はなります
ブッダの常識は
その話を聞く前の私ならば
『非常識』
である
『お金持ちに
どんどん出してもらえばいいじゃん』
これは当たり前である
しかしながら
『ない』と思っている人に対して
『生み出す力』がある
と言ったブッダって
凄い
すみませんブッダさんに
こんな感じで
ブッダさんは元々『王子さま』
だから、ご自分の立ち位置
そしてその『王子』の称号も捨て
修行なさったわけで
故に
平民の気持ちも
分かりわかってくださっていたのね
私はどんな人にも
何かを『生み出す力』があり、
『100の存在』
であると知ることができた
それはどんな小さな赤ちゃんだって
『100の存在』
であり、死ぬまで
体が動かなくなっても
それは変わらないのだ
先日の投稿でも、申してますが
『タダ、安い』で
自分のお金や時間を費やすより
『自分が何に納得し、満足するのか』
それを見極め、
自分の対価を払う
それをよーく理解することである
そしてその『充実した時間』の中で
丁寧に自分の心と
『対話』してみてください
『あーよかったー』
『やっぱり、この空気感が私の居場所』
などなど
感じることでしょー
『クレクレ星人』になるのは
みっともない
(誰かが何か『くれたら』
ありがとうですよ)
『タダだからやってもらう』
『タダだから行く』
そんなのは所詮、
自分にとってなんの『価値』にもならん
タダほど『忘れる』
自分は『100の存在』
であることをお忘れなく