信仰の話です。


最近クリスチャンたちと話しているなかで思うこと。

 

信仰、イエスさまを深く知るために必要なものは、年数も年齢も

 

牧師や執事など、どんな役職も関係ない。

 

知識でもない。

 

試練と悔い改め、そして祈りの経験なのかもしれないと思った。

 

祈りの道をどれだけ知っているか。

 

その祈りの深い森のなかへ

 

恐れと自分を捨て 一歩一歩 繰り返し重い足を踏み出し続ける

 

その道筋が増えていくにしたがって

 

イエスさまが一体どんな方なのか

 

何を求めておられ 何を喜ばれるのか

 

わからされていく。

 

そのみ心がはっきりわかるようになる。

 

時に主の声も聞こえる。

 

しかし多くは声、というよりも


人の声のようではなく


主の心が


聞こえる。

 

しかし、その経験も、じつは与えられたもの。

 

与えられる資格など何もないものに一方的に与えられるもの--- 恵みなので誇ることは出来ない

 

信じる人は多いけれど、その祈りの道とイエスの声を聞く人は多くない

 

ただ、じっと耳を澄ませて アンテナを立て続けたら

 

日常的にイエスさまの与えてくださる[しるし]がちゃんと見えてくる。

 

 

 

 

 

悪しき者の気配も感じる。

 

今は終わりの時代。

 

悪い霊の働きが激化していると主が教えてくださる。

 

一見平和な教会の中にも入り込んでくる悪しき霊たち


静かに、わずかな隙を狙って。

 

異端。そして罪。

 

異端 と呼ばれるものは、時代に則して変化する。

 

それまでの定義をひっくり返す。

 

イエスが十字架で死んで、墓に葬られ、三日後に甦ったことは悪魔でも信じている。

 

イエスの十字架と復活を信じながら、律法の行ないによる信仰、それに気付かせないように実に狡猾にクリスチャンに信じ込ませるからたちが悪い

 

自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取る

ガラテヤ6:8


肉によって信じさせようとする、それは巧みな罠。

 

教理をしっかり学ぶ必要がある。聖書をただ漠然と読んでいても見抜けないから。

 

そして罪

 

わたしたちは皆罪人である。

 

どこまでも愛し赦すイエスの愛。

 

しかし信じて変えられた人も、その変えられた時点から、今の今まで何も変わっていないのなら

 

またキリストを信じながら、姦淫の罪、同性愛行為などの罪などに走っているなら

 

その人の信仰は生きているといえるだろうか。

 

変えられたというその日はいったいいつの話なのだろうか。

 

過去の栄光はまったく意味がない。

 

果たして主が喜んでおられるだろうか???

 

 

 

 

憂うることが多い。

 

祈りの道筋をしっかりとつけていかなくては、

 

何もわからない、判断できないクリスチャンになる。

 

スマホも、気になる心配も、すべてここに置いて

 

密室のイエスさまと二人だけの祈りの場へいこう。

 

祈りに応えてほしいと思うなら

 

自分の思い、願いをさえもイエスさまに差し出してしまわなければ、

 

良いものはいただけない。

 

自分の思いにしがみついたままで、何かを欲しいなどどうして言えよう。


「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」マタイ10:39

 


聖書の神の法則はこの世のものと真逆であることが多いです。





イエスさまは、待っておられる。

 

ご自分のお心を託したい人を求めておられる。

 

何も持たずに 一切を放り出して ただ主と交わり聞くものを。

 

信者も不信者も関係ない。


真実に自分よりもイエスさまご自身を求めるものに


ハッキリとご自分を現される方です。


イエスさまが見えないのは原因があるからです

 

 

 

 

 

久しぶりの投稿の上、ちょっと辛口ですみません

 

目を覚ましていなさい、のイエスさまの声がします。

 

そして

 

エペソ6章

 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
足には平和の福音の備えをはきなさい。
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

 

そして、私自身がずっと示されているのが、次のこの聖句です。


すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

 

これこそが、教会を守り、仲間や自分を守るための、重要な『祈り』の武器です。

 

破れ口に立ち、取り成す祈り手となれるように、固く立てるよう力をいただきたいと願います。


一人でも多くの同士が与えられますようにと切に。


つまらない話でしたらごめんなさい。


 

読んでくださった皆さまにイエスさまの祝福と救いへの導きがありますようにおすましスワン乙女のトキメキ