こんにちは(^^)

久しぶりの投稿です。

 

時々減断薬中の方が覗いて下さっているようでありがとうございます。

わたしには昔々の夢物語のようにも思えますが、皆さんの減断薬ブログを覗いてみれば当時を思い出します。あの空気感の中を今生きておられる方々が、早く薬から無事脱する事ができますように願うばかりです。

 

病院へ行けば行くほど病んでいくという真実に多くの人が目覚めますように。

検査も薬も体を病ませるものだと今の私は確信を持っているので、病院には行っていません。がん検診、血液検査さえ受けません。

 

こちらを参考に気を付けています。動画を遡ってご覧ください。↓

小麦、乳製品、油、砂糖、全ての病の原因となっていることは確かです。

腸内環境を整えつつ以上の食品を断ちながら、健康を取り戻せています。

減断薬中の方も必見だと思います。

 

 

 

コロナワクチンも一度も受けていません。

この数年間で超過死亡数が60万人に上るとか。わたしの周りでも高齢者からバタバタと亡くなっていますし、ピアノの生徒さんもワクチンで体調不良、学校を退学に追い込まれています。テレビの情報はプロパガンダ、情報操作されていますから、ネット上にある生の声、真実を探してください。

 

今わたしはお陰様で、薬の離脱症状はまったく感じていませんし、まったく思い出しません。恐らくこれまでで一番元気なのではないかと思う時間を楽しんでいます。

母の認知症介護や娘の出産を控えて色々ありますがそれさえ感謝です。

 

 

 

 

 

さて、今日はっきり悟れた聖書のお話です。

幾らかでも聖書をご存知の方向けですニコニコ

 

第一コリント12章3節

聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と告白できません。

 

これまでよくわからなかった、というのは、聖霊によれば誰でも「イエスは主」と言えるのではないかと思っていました。そもそも聖霊によらなければ誰も信じることは出来ないからです。

 

しかし、ここでの「聖霊による」は「聖霊のバプテスマ」のことなのだと今朝理解し腑に落ちました。そうお考えにならない方もおられるとは思いますが今与えられている私の確信です。

 

このことは、ロイド・ジョーンズの名著「栄に満ちた喜び~聖霊のバプテスマ」の本で言及されていましたが、今一つわからなかったのです。

 

 

そもそもバプテスマ(洗礼)には二つあります。

 

一つは、バプテスマのヨハネの悔い改めの水のバプテスマ。いわゆる教会で受ける洗礼です。わたしも23才で滴礼(洗礼)を受けました。

 

しかし洗礼(バプテスマ)の本来の意味はギリシャ語「浸す」ですので、イエスさまに倣って文字通り頭から足のつま先まで水に浸されるため、全身浸礼を受け直しました。

 

二つ目は聖霊によるバプテスマです。(水ではなく聖霊で浸される)

 

聖書の使徒行伝は聖霊行伝と言われ、

読めば使徒たちの力によるのではなく聖霊が使徒たちに降り、聖霊の力を得た後どのように大胆なイエスさまの証人となったのか、その聖霊の御業と力を知ることが出来ます。

 

 

 

 

聖霊のバプテスマを受けた後の大きな変化としるし

 

「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

使徒1:8

 

①聖霊によってイエスさまを信じた時、内なる変化が起きます。

自分中心だった生き方が神中心となり、すっかり変えられます。

 

更に②聖霊のバプテスマを受けると、イエスを伝える証人となるための大胆な「力」を与えられるのです。

 

教会で悔い改めの洗礼を受けた際には誰しも「イエスは主です」と告白します。

 

使徒行伝の中で、同じように聖霊によって信じて、ヨハネの水のバプテスマを受けた何人かの弟子たちに出会ったパウロは、信じた彼らに何かしらの違和感を感じたのです。

だからこそ次のように聞きました。

 

「信じた時聖霊を受けましたか?」

「どのようなバプテスマを受けたのですか?」  使徒19:2

 

それに対して彼らは「聖霊がおられるかどうか聞いたこともありません」と言って、パウロから主イエスの名によってバプテスマ(聖霊のバプテスマ)を受けました。

すると驚く変化が起きます。

 

パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした。 使徒19:6

 

異言、預言を語り始めた、とあります。

 

異言を語るとは、見ず知らずの様々な外国の言葉で(使徒2:4)、福音を(使徒2:11)語り始めたということです。

 

預言は神さまからの預かった言葉です。

 

水のバプテスマを受けた弟子たちでしたが、聖霊のバプテスマは受けていなかったので、イエスさまが十字架に掛かった際には恐れてイエスさまを置いて逃げてしまいました。

 

しかしその弟子達が、やがて聖霊のバプテスマを受けた後、命を厭わず大胆に恐れずにイエスを証ししていき、やがて殉教していきました。

 

江戸時代の踏み絵も同じだと思います。

静岡の安倍川でも、多くのクリスチャンたちが捕らえられ、イエスを信じて殉教していきました。聖霊によらなければできないことです。

 

初代のクリスチャンの多くが殉教したのも、このテストによってでした。

彼らは「カエサル(皇帝)は主です」と言うように要求されたが言わなかった。

イエスこそ「主」であり、イエスだけが「主」なのです。

イエスが神であることを否定するなら、その人の内には聖霊が宿っていないのである

(ロイドジョンズ著栄に満ちた喜びより抜粋)

 

 

聖霊の賜物

 

 

悔い改めてイエスキリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。 使徒2:38

 

これは誤訳だそうです。

ギリシャ語を正しく訳せば、「賜物としての聖霊」ではなく「聖霊の賜物」です。

 

新約聖書の原語であるギリシャ語聖書と英語を照らし合わせて学べるインターリニアアプリ↓

 

 

 

 

信じると同時に聖霊が内住し、9つの聖霊の実を結んでいきます。

聖霊の実

①愛②喜び③平安④寛容⑤親切⑥善意⑦誠実⑧柔和⑨自制

 

 

そして聖霊のバプテスマを受けると与えられる賜物は9つあります

聖霊の賜物

①知恵のことば②知識のことば③信仰の賜物④癒しの賜物⑤奇跡を行う

⑥預言⑦霊を見分ける力⑧種々の異言⑨異言を解き明かす力

 

この賜物は教会を建て上げるために、皆の益となるように、一人一人に与えられます。何が与えられるか、幾つ与えられるかは、聖霊さまご自身がお決めになります。

 

 

 

同じ御霊が御心のままに、一人一人それぞれに賜物を与えてくださるのです。

                          使徒12:11

 

私たちはみなユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて一つの体となりました。そして皆一つの御霊を飲んだのです。

                               使徒12:13

 

賜物はキリストの体を建て上げるためのものですから、一人一人の賜物はその部分だと聖書は言っています。個人のためものではなく、みんなで一つの働きなのです。

 

 

 

 

異言は聖霊のバプテスマを受けたしるしか?

 

 
 

わたしは聖霊のバプテスマ体験と思えるものが2回ほどあります。

その際大きな変化がありました。見分ける賜物そして預言も与えられているようですが異言はありません。癒しの賜物もあるかもしれません。

異言は以前、ある牧師に練習を促されて数年行っていましたが、人為的なものであり外国語とは思えないので(同じ決まった単語の繰り返し)違うと判断し中止しました。

 

 

 

第一コリント12:30

皆が癒しの賜物を持っているでしょうか。

皆が異言を語るでしょうか。

皆がその解き明かしをするでしょうか

 

 

第一コリント14:5

あなたがたが 皆異言で語ることを願いますが

それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。

 

これらは暗に異言を皆が語らないと言っているように思いますし、パウロはみなが異言で語ることを願っているということは、異言で皆が語られていないと言うことだと仰る意見に賛成です。→サザエのお裾分け参照

 

 

 

 

素晴らしい賜物がほしいと思いますが、賜物を求めるよりも御言葉(イエスさまご自身)を日々霊の糧とし、御言葉の真理に光を当てて悟らせてくださる聖霊さまを悲しませないよう、肉ではなく御霊によって生きる事を選び続けていくことが大切に思います。きっとそれが近道です。

 

賜物と召命は変わることがないとありますから、日々の聖霊様と御言葉によって歩むことで、与えられ備えられた賜物もはっきりしてくださるのだと信じています。

 

聖霊のバプテスマは一度だけではなく、必要な働きのために何度でも受けることが聖書にも記されていると思います。 

更なる上からの力を求めたいとペンテコステ間近の今日思わされます。

 

お読みくださったすべての方の上に主の祝福がありますように。

 

 

 

 落ち着きますよ。お気に入りの賛美BGMですキラキラ