少し暖かくなったので、ランニングに行くのが億劫でなくなってきました。
このブログを始めてから、自分が億劫なんて使うことがわかったというか、そういうふうに思っていたんだなと少し驚いています。

ランニングといっても速く走るとか負荷をかけて持久力をつけるとか、そういうことがメインの目的ではありません。
最初は運動不足の解消とか、持久力とか、スポーツ寄りの発想から始めたような気がしますが。
始めてから、ランニングすると肩のこりがほぐれていくような感じがありました。
揺することで、凝ったところをほぐしている、みたいな。
そのあと一時期は、ほぐすのと強度を増すので、けっこう激しい運動にした時期がありました。
ダッシュを加えたり、ペースをあげたり。
そうすると、走れないタイミングが続いたりしたときに、復帰するのがきついんですね。
体力落ちたみたいに感じるし。

去年の12月に足を怪我したこともあり、2ヶ月弱は走る機会を持てず、久しぶりに再開して、ちょっと考え方というかやり方を変えたんだと思います。
呼吸と姿勢に気をつけて走ることが多くなりました。
ペースは無理にあげない。
ダッシュは面白い試みだったと思うので、またいつかやりたいと思いますが。
あと、声に出して読むをやったあととかに走るときは、そのときに変化している身体のままで走るようにするとか。
ほとんど競歩みたいになるときもあるし、ペンギンみたいなよちよち歩きみたいになるときもある。
傍から見たら不格好な走り姿だと思います。
上半身の姿勢に気をつけると、足とか腰とかお腹のあたりまで意識回らないんですね。
で、足とか無意識にしてると頑張っちゃうから、そこはなんとなくで走らせないようにする。
そうすると、これまで使ったことのない身体になるから、筋肉とかうまく連動しないようで、すごく変なことになる。
ただ、身体の芯というか、保つべきところは保つ。
舌を上顎につけることをしていれば、僕の場合はだいたい保てている気がします。
わりと難しいんですけど。

ランニングもそうやって、自分の新しい身体感覚と出会っていくのが面白いです。

あと、発声・滑舌にしてもそうだけど、昨日できたことが今日できなくてもあまり気にしない、昨日良くできたことをなぞらない、昨日の自分を目標にしない、今日の自分とやりとりする、ということが大切だと思います。
声に出して読むことにだいぶ慣れてきて、身体の状態が少しづつ変わってきていることを感じています。
前より声が出しやすくなった感じもします。
それで、カラオケに行ってみました。
一人カラオケ。
結構よくやることなので、もう割りと平気です。

カラオケで前にあった症状はいくつかあります。
声を喉で?作ってしまう。
そうすると声が嗄れるのが早いです。あと、声の太さみたいのも感じられない気がします。
あごが疲れてしまう。
これは分からない人には全然分からないと思うのですが、思ったように口が開けられなくなってくるんです。そうすると声をうまく響かせられなくなる感じもします。
サビの部分であっぷあっぷになる。
高音や大きい声を出すようなときに、力が入ってしまって、声が裏返ってしまって、と歌いきれないんです。

で、今回行ってみて、多少改善されてきたのが分かりました。
舌の位置を正しくすることで、口を頑張って開けようとか顎を動かそうとかがなくなってきました。
歌っている最中に、身体をゆるめることが少しできるようになりました。
そうすると息も吸えるし、ゆるめられると分かったぶん使えるんですね、筋肉を力ませるじゃなく使うっていう感覚。
腹式呼吸をしようとしてお腹を膨らませようってんでなくて、ゆるめたところに入ってくる感覚。
この感覚は昔、演技始めたころとか、全然分からなかった。
ゆるめるってのも難しくて、ゆるめるには正しく緊張していないといけないですね。
糸が張っている状態のような。
で、ゆるんでも芯は残っておかないとダメ。
力まず緊張するってのは難しいですね。

身体を改善しようとしているときは、歌ったときに前より下手になるときがあります。
音程が取れないとか、変な響きのきれいじゃない声が出るとか。
僕はそれを気にしないことにしています。
全然使っていなかった部分を使おうとしているんだから、うまくいかないのは当たり前と思ってます。
ちっとも油を差していなかったチェーンがギシギシいうように、身体も声も同じことと思ってます。

無駄な力が入らないようにすることは大事だと、多くの本でも書かれています。
でもそれを体験するのは、難しいです。
注意深く自分の身体と付き合っていくしかありません。
僕なんかは、誰か人に教えてもらったり、他の人と一緒に身体的なワークショップとかを受けても、自分の身体がやっぱり他の人と違う感じがして、訳わかんなくてイライラしたり投げ出してしまうことがありました。
だから、自分にとって信用できるものを選びとって、自分のペースで自分の身体と向き合うことです。
今年は花粉があまり飛んでいないのか、ずいぶんと楽です。
バイクに乗るとき以外は、外に出るときもマスクをしないで過ごしています。

温かい日が多くなってきました。
この時期の、夜の生ぬるい空気が好きです。
夏の前の湿気を多く含んだ夜の空気も好きです。こっちのほうがわくわくする感じがします。
いまは、冬の寒さの緊張が解けてく感じ。

行動の範囲が狭いなぁと思います。
ほとんどバイトか家か。バイトのない日も最寄りの駅近くか隣駅くらいまでしか行きません。
ランニングではもう少し遠くまで行くんだけど、だいたい夜だし身体に集中してるから、周りを眺めたりとか別の体験はできない。

いまの生活はわりと安定していると思うのだけど、少し退屈になってもきます。
もうちょっと出掛けてみるようにしようかなぁと。
バイトの前にどこか行くのは、バイクのこともあるし、億劫です。
だから月曜から水曜まで、この主にブログを更新しつつ、家で課題をやり、のんびりする時間を、外で使うようにしたらどうだろう?

バイクを停められるようなところがあれば、交通費はほとんどかからないと考えていいし、1日1食くらい外食しても週に3日くらいなら大丈夫。
というか3日も全部出かけるか分からないし。
最近タバコをまた辞める期間に入っていて、おいしくなかったり習慣で吸ってるだけになったりしたときに辞めるのですが、支出が結構減ります。
お菓子も食べるときはよく食べちゃうんだけど、ついでに制限して。
その分、家のご飯をちゃんと、おいしく、豊かに食べよう。
何を食べたか、それがどんなだったか、っていうのも書き留められたらやって。ご飯好きなんだけど、あまり観察してなかったし。

とか。
そんなことを考えています。

自分がこれまで感じなかった、感動しなかったことに、心が動くように。それが細かく具体的になるように。
個人的な体験をどんどんしていこう。
ここ最近は1周間に1本、映画を借りて見ています。
『レオン』は少し書きました。
そのあと、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPart2』を観ました。

『ベンジャミン・バトン』は老人の80才の身体で生まれてきて、年とともに肉体が若返っていく男の人生を描いた作品です。
肉体は逆行するけど、脳や心は普通の人のような経過をたどるのが、とてもドラマチックに人生を浮き上がらせます。
ベンジャミンは若返っていくし、周りは年老いていくから、愛し合った女性と同じ時間を過ごせるのも長くありません。
子どもができたけれど、ベンジャミンは一緒に過ごしていける夫を探すべきだと彼女の元を離れます。
ともに年をとっていくのは当たり前だけど、それはとても幸せなことなのだと思いました。

ブラッド・ピットの、居方が好きでした。佇まいというか。
悲しいとき、その悲しみを表現しているというより、ただその状況を見ている、どうしようもなさに身を任せているような、そんな目や身体がとても良かった。
それは、ブラッド・ピットの演技力、想像力がなせるものなんだろうな。
「そこにいること」ってのは、その周囲の状況が想像できて、その場に浸れていないといけないのかもしれない。
その想像の世界の先を未来を想像できて、その想像の世界の今があるんだな。
過去があって今があるのもあるだろうけど、やっぱりなんか人は未来を考えて生きているものだと思う。

『ゴッドファーザー』は、言わずと知れたマフィア映画の傑作らしいですね。初めて観ました。
マーロン・ブランドの名前は、アドラーの本でも出てきますし、アドラーの一番の弟子みたいなことが言われています。
wikiを見てみると、色々問題のあった人みたいですけど。
しかしビト・コルレオーネはすごかったです。
ため息の吐き方ひとつで感情というか、情感が伝わってきます。
派手なことはしていません。
何もしていないように見えるときの、行動っていうのを探っていくのも面白いかもしれないと、今書きながら思いました。
アル・パチーノのレストランでの殺しのシーンは見てるこっちもものすごく緊張しました。
これも決して派手な感じはないです。焦っている感じとかを出していますという感じもなくて。
何なんでしょう。
裏切りは許さないとかファミリーを大事にするのとか、カタギに手を出さないとか、イタリアンマフィアの世界も面白く観ました。
とても面白い、良い映画でした。

『ゴッドファーザーPart2』は、前作のその後とビトがファミリーを作っていく最初を描いたものでした。
コルレオーネファミリーの、ビジネスとしては成功していっているのに、ファミリーとしてはうまくいかなくなっていくのが、とても暗く悲しく感じられました。前作が好きだったのは、ビト・コルレオーネという人の暖かさもあったのだと思いました。
ロバート・デ・ニーロの声の感じはマーロン・ブランドの声の感じに似せていて、声を作っているのだけど真実味があるってすごいなと思いました。
日本だと、他の国は分からないのだけど、声優さんの感じってやっぱりちょっと違うから。
声だけの表現っていうのと、そうじゃないのとで、やっぱり違うんでしょうね。
見てる側からしてそうなのかもしれない。
アニメとか漫画とかって、そのキャラが何を見てるのかってあんまり考えない気がするけど、映画とかはそういうものを考える。
俳優とか声優とか自身の演技体、性質というよりも、媒体の違いからくるものなのかもしれないですね。
色のついたものを、それが置かれている周囲の状況と一緒に語る。をやっていきます。

・3段のキャスター付本棚の白
足の部分に黒い4つのついた少し横長の本棚。
横幅はだいたい90cmくらいで奥行は30cmくらい、高さは75cmくらい。
木製で中の板はそれほど重くない。
本棚内側の側面に小さな穴がいくつかあって、中板の高さを変えられる。
プラスチック製の小さな支えのタブを4点差し替えて、板の位置を変えるという具合だ。
表面には組み立て時のパーツを示す数字のシールがいくつか貼ったままになっている。
木製の板に薄い壁紙のようなものを貼った塗装で、それが白い。
それぞれの板の広い2面とせまい4面では少しそのシートが違って、白の感じが違う。
4面のほうが紙質が多少厚く、盛り上がって見える。色はつるんとしている。
広い2面は紙は薄いが、表面の加工が少しざらついた感じになっている。
本棚のなかには何も置かれていない。
部屋の壁紙の白より明るい。清潔な感じの白。

・自分の部屋のティッシュボックスカバーの白
イーゼルの筆置のところに開かれている、ティッシュの箱より一回り大きな木製の箱。
白に近いクリーム色で、木の色がそのまま使われている。
軽い材質の木で、木目はあまりはっきりしない。
表面は木を紙やすりでしつこく削ったあとの、やわらかいざらつきがある。
あたたかみがある。
筆置には、ペンとチョークが積まれている。
イーゼルは黒板の面を向けていて、友だちがチョークで書いた絵が少しぼやけて残っている。
筆置の下は、40cmくらいの高さの空間で、木の枝かつるの固いのかで編まれたゴミ箱が置いてある。
ビニールをかぶせてあって、その周りにはビニール袋がいくつか散乱している。

・自分の部屋のカーテンの白
幅150cmくらいのカーテンレールに付けられている、白い縦に編み込んだ模様がついたカーテン。
完全に遮光するタイプのカーテンは付けられていないが、その白いカーテンだけでほぼ透けない。
机がすぐ際のところまである。
窓が縦長で、サイズが合っていないから、下30cmくらいは足りてない。
その窓の半分くらいまで机がきているので、それはほとんど目立たない。
日当たりが良く、外の光で色合いなど感じが変わる。
机の前に座ってパソコンのモニター越しに見ることが多い。
カーテンの右隣、少し上には備え付けのエアコンが設置されている。
また、エアコンの下には、取っ払った収納のふすまが、机との間に立てかけられている。

・洋型4号の封筒の白
主に文具類の入った高さ15cm幅15cm奥行20cmくらいの薄いダンボールでできた箱に入っている。
その箱は木目調で、濃い目の、黒が少し混じったような茶色だ。ダークブラウン。
洋型4号の封筒の前には、濃い肌色くらいのクラフトペーパーの封筒がある。
周りには、鉛筆の箱や、筒状の色鉛筆入れ、竹とんぼ、小学校のころとかによく使っていたアラビックヤマトの液状のり、オレンジのキャップだ。鉛筆の箱には、三菱鉛筆と印字されていて、白と緑と黒がはっきりした色で使われている。
また、黒いはさみの持ち手の部分が見え、色ペンが何種類かある。水色の小さな鏡もある。
三角定規と分度器の入った定規入れも見える。小さな懐中電灯の、手に巻けるような黒いひもだけが、箱の外に垂れている。
箱のすぐ手前には、パールっぽい水色のダストキャッチャーがある。
右隣は本棚で、左隣にはくすんだ青に近い水色の筆箱。その手前に小物を入れた灰皿が2つ。
そもそもこれらが置かれているのは、3段のウッドラックの一番上だ。


さて、これ、パソコンに打ち込む前に、紙にペンで書いて最初やっているんですが、打ち込みながら、反省というか感想が出てくるんですね。
最初は、そのものが大きかったのもありますが、3段のキャスター付の本棚は、周囲の状況というより、ほとんどそのものについてのメモになってます。
で、これ今年に入って買ったけど、結局使ってなくて出してあるもので、心が動かないなと思いました。
つまらない物だということ、それは自分に見えるもので、僕の中に存在するもの、想像力のひとつなんだろうと思います。
この本棚は、ただ今使い道がなくて置いてあるだけで、それが当たり前になってしまっていて、特に何の感想、感動もなかったけれど、それ自身を見て行ったり、周囲のものと一緒に見ようとすると、つまらない物だってことが、特に使われるでもなくただ置いてあるだけってことを、それに愛着もないってことを、ひょっこり思い出したのだろうと思います。
本棚のなかには何も置かれていない、って情報は、重要ですよね。これ自分ではなかなか気づかないでいましたが、この本棚を知らない人にとってはとても特徴的なことですね。

ティッシュボックスカバーは、少し小さいこと、それ自体に語る情報の少ないこともあって、少し周りの状況を見ることができました。
友だちの書いた絵の残っているイーゼルっていうのが、僕にとっては心が動く1つの要素なんだなと思いました。
また、周囲の状況を語ることで、ティッシュボックスカバー自体やその周囲が絵で、視覚的な具体的なイメージとしてやはり浮き上がってくる感じが増したように思います。

カーテンの、窓とサイズが合っていないっていうのも、特徴的な情報ですね。
それに、この白いカーテンは、一般的には完全に遮光するような厚いカーテンの後ろに付けられるようなレースカーテンのようなものなんですが、それをそれだけで使っているのも特徴的です。
透けて見えないけど、光はそれなりに透すから、好きで使っています。遮音性もけっこうちゃんとしているし。
カーテンは壁面にあるものだから、壁の状況、エアコンなどのことが語られると絵が出来てくる感じがありますね。

洋型4号の封筒は、今回やった中で一番小さいのと、周りのものが多いところにあったので、それ自体というより、その周囲のことを多く書けたと思います。
この順番で描写していって、最初はそのダンボールの箱とその中しか見えていなかったのが、最後にその隣を見て、もっと引いてウッドラックのことを書くと、感じが変わりますね。
置かれている状況と、語り手が、僕が切り取った世界がどんなものかがその語り、描写によって変わってくる。
違うものが見えてくるというのもあるし、逆に何を重点的に見せたいかでも変わってくる。
寄りで拡大して見るのと、引いて状況のなかで見るのとで違う。

状況が違えば、「見る」というアクションも同じようでいて、違ってくる。
「3段のキャスター付本棚を見る」でも、中に本が入れられて、使われている状況だと、「見る」のも違ってくるんだろうな。
洋型4号の封筒の白さを伝えるためなら、周りのものの色をもっと描写すると良いのかもしれない。