止まるところが見えない円安が課題だと思います。

 円は1995年に最高値を付けて以来、(実質実効為替レートで)凸凹はあるものの、下降一辺倒になっているようで、我が国の経済とともに凋落を続けているようです。

 この間、政治は、常に、「経済再生なくして財政再建なし。」のスローガンで、子・孫の世代に借金を負わせながらバラマキを続けてきたようで、極めつけは現在までのアベノミクスとこれに連動した日銀の異次元の金融緩和だったのではないのでしょうか。

 企業(経営者)や、経済界にもバラマかれた甘い汁が流込み、21世紀型事業創出のための開発や設備投資への意欲を削ぎながら、内部留保は増やしつつも従業員の給与や下請への配分を絞る社会構造が定着して現在に至った感があります。アベノミクスはいつの間にか幟も立たなくなり、国民の経済格差は拡大し、将来に対する希望を失わせつつ、30年を超える時間が経過したことになります。

 途上で、「アベノミックスの辿り着いたゼロ金利政策は太平洋戦争末期の特攻隊出撃だ。」という評論を目にしたこともありました。現在の国の債務は太平洋戦争末期のそれを超えているような見方もあるようです。 

 このままでは経済の破綻も迫っているのかも知れません。何もないままに推移したとしても、更なる30年など直ぐに経過して2050年を超えてしまいますが、炭酸ガスを垂流しながらの貧困国に落込んでいるかも知れません。最近は工場災害も頻発しているようですが、二度目の原子力事故でも起こればどん底です。

 後ろに進んでいるのは日本だけの状況ですが、国民の力を結集して何とかせねばなりません。

 政治には常に大きな実験的、試行的要素があるのは間違いないでしょうが、下り坂に乗っているにも関わらず、無策のまま、失われた30年とか。あたかも自然現象であるかのように扱っているのは・・・・・、何とかこのような体制を建直さねばなりません。

 この先の政治では、熟慮・熟考を踏まえたPDCAの科学的な管理サイクルを徹底し、項目によっては毎年、項目によっては2年に1回と、間断なくサイクルを繰り返して目標に邁進することが必須でしょう。

 どなたの著作だったか、米国は太平洋戦争突入直後から、知識人、日本通を集めて戦後の日本占領後の統治政策の検討に着手していたそうです。我が国の施策には、「必要なことは全部やります。」とか、「できることは全てやります。」と言いながらあとは成行きというか、後追いのパッチワークのようなものが多すぎるように思われます。キチンと5年後、10年後を予測しながら、当面は細密な展開方策を立案できる取組や政治・行政体制の構築が必要ではないでしょうか。マネージメント自体、科学的でなければなりません。

 大変難しい命題のように思われますが、急ぐべきは、やるべきことをやるという新しい政治で、喫緊の円安問題も、このような決意を持った政治体制が主導して、原因と対策を浮き上がらせたうえで、政治と中央銀行である日銀とが正しく責任を分ちあった経済・財政の再建ではないでしょうか。

 現在のマスコミの報道を見ていると、円安を齎したのは日銀で、これをどのように脱出するかも日銀の采配次第といった、政治までもが外野席のような論評が目立ちますが、円安を止めるためには、先ずは政治がこれまでの政治を責任を持って見直すことが不可欠で、その上で中央銀行としての日銀の役割があるのではありませんか。

 国民の政治参加意識の低さや、戦後の民主主義や民主政治の未熟さも関係しているように思え、改めて原点に戻って考えないといけないことも沢山あるように思えます。

 憲法自体、国会議員は選良であることを前提にしているとしか思えませんが、そうであっても、例えば、財政については英国の財政責任庁のような独立した機関に監督させるとか、衆議院統合して一院制で良いのではないかと言われることの多い参議院は、これを真の良識の府に編成替えすべく何らかの具体的な方策を講じる、等の改革も考えられるように思われます。

 政治の見直しという面では、都政においても然り。困窮して過疎化や衰退に向かう自治体が多い状況下で、自治体一番の豊かな財政があるとしても、これをベースに都だけには特権があるようなバラマキ政治になっている点も見直さないといけないと思われます。

 須らく、何とかならないかと思う次第です。