近時の国会は、討論を聞いても将来を考えながらの建設的なやりとりは無く、官僚が残業しながら纏めさせられたような責任回避だけの説明が棒読みされているように見えます。必要とあらば同じ空疎な説明が繰り返され、時間が経てば打切って与党ほかの圧倒的多数の力で押切って法案なり決議なりが成立する状況が常態化しています。

 

 極め付きは、半年以上繰り返された政治資金パーティの裏金事件をめぐる、企業献金に関する最高裁判決を引用した首相説明でしょう。本来、時間を割くべき課題ですらないと思われますが。

 

 判決は1970年と1996年の二度下されていて、勘違いでなければ新しい方の1996年には企業献金に否定的な判断が示されています。首相はこれに一切触れることなく、1970年の判決を繰返し引用した訳ですが、選良として国民に正しい方向を説明すべき立場で採る見解でしょうか。

 正当性を主張した上で、これまでのパーティ券の購入者を公開する基準20万円超を10万円にすべきだとか散々時間を浪費して、本来、廃止すべきところを、ようやく5万円で押し切ったのでしょう。与党議員からは自民党を守るためには不可欠であるとか、これで自民党の力を示すことができたといった発言まであったようで、国民目線からは何をかいわんやです。

 

 このような国民を愚弄する政治が許されて良いのでしょうか。否、最高裁判決を引用する以前に、立法府として企業献金を廃止する良識や、IT時代ですから政党交付金や個人寄付の流れを1円単位で機械的にデジタル化し、透明にできない範囲は課税の対象にして国民と同様な義務を負うようにする等の良識を発揮して欲しいものです。

 

 何故、政治家(政治屋という呼び方もあるようです。)のための政治が成立つようになったのか、国民の責任も大きいでしょう。それと、本来的には相互に独立しているべき政・官・業のうちの業(界)にも問題があるでしょう。業の代表格である経団連は、衆議院の解散に備えて、早速、与党の政策を高く評価するとした上で、傘下の企業等に自民党への政治献金を呼びかけています。国民目線からは、政策が高く評価できるなら我が国の経済はここまで凋落してはいないだろうと思われ、企業名での献金の正当性とともに何か変です。が、ここではここまでにしましょう。

 

 さて、古くは55年体制と呼ばれた自民党と社会党が支配的であった時代や与野党が多党化した時代が続きましたが、中選挙区制であった影響もあって選挙では各党の候補者は人格や見識を競い合うことが求められた記憶があります。結果、立派な政治家が各党をリードし国政も、妥協点を探りながらまだまだ良識的に運営されていたような気がします。

 最近の日々劣化する政治を見るに、選挙に出る候補者に政治家としての能力や資質が無くても選ばれ得る日本では、各党の得票率と獲得議席数が対応しない(小選挙区制が馴染まない)ことが大きな原因であるように思われます。

 民主主義から乖離した権力が得られる可能性がある選挙制度の下で、国会のチェック機能が及ばない困った政府が成立する可能性が生まれ、将に「権力は腐敗する。」とか、「権力は暴走する。」となるのでしょう。 三権分立といいながら、これが崩れているのです。

 

 この状態は、既に、二十年以上、続いているのかも知れません。支持率が20%を切った内閣が国会解散も拒否して、先送りできない課題に対応すると居座り続けたり、党内事情で成立した新内閣が、突然、過去にない短期間で衆議院の解散を宣言するなど、巨大与党が行政と立法機能を支配し続けている恐ろしい状況にあります。

 何時の頃だったか、どの筋からだったか、「決める政治」が喧伝された記憶があります。国民の方もこれに乗った面もあったかも知れませんが、現在の政治家のための政治、確たる戦略もなく経済対策と言いながら金をばら撒き続け、将来世代に課題や負担を先送りし続ける政治を見るにつけ、国民もしっかりしないと、日々、我が国が崩壊し続けているとしか思えません。

 

 与党は徹底的に反対するかも知れませんが何とか新しい中選挙区制などに戻すことも急いで、人口減少に対応した国会議員の大幅な削減、一票の格差是正を果たし、限られた選良で地域毎の利益誘導でない日本全体の将来図を描きながらの政治に移行させるべきではないでしょうか。別に、小選挙区制のままでも1回の投票で過半数を得る候補者がいない場合には上位二人での決選投票をすることにすれば、有権者の関心も高まって投票率が上がるといった副次的な効果とともに、政治と関係ない分野での人気・知名度だけの候補が当選する可能性も回避されることことが期待できる、といった識者の提案に接したこともあります。

(注)決選投票方式の好例は、過日の自民党の総裁選挙でしょう。9人の候補者が乱立してどうなるかという状況でしたが、1回目の投票では、第一位になった高市氏が獲得した票は約25%でした。第2位の石破氏との決選投票では、僅差でしたが、石破氏が約53%の票を獲得しました。投票権者の支持という面では投票権者の過半の支持が明確であったということでしょう。

 

 野党には政治を任せられないという意見も強いですが、国民の立場からは、何とか巨大与党の誕生を回避した方が、政党間、政治家間での切磋琢磨が避けられなくなり、政治家も政党も成長し、ひいては、政策の質も向上するでしょう。とにかく、国民が監視できる構図が必須です。

 

 地方の声をどう救い上げるかという課題も残っていますが、与党の強権で都道府県の自治権を奪うような法律を乱造、乱用する環境を放置しないで、自治体の主体性や自治体相互間連携機能等も強化・活用して目こぼしの無い施策を進めることが不可欠でしょう。能登半島震災への対応を見ても、県の対応能力を超えた大災害であるにもかかわらず、国は当初から予備費を切り崩しつつ災害対策費を小出しし続けるのみで、今回の災害の地域性や特徴を考慮した、人的支援の強化までを含む(県への)抜本的な体制支援や計画立案支援はなされていません。誰が総合的な司令塔を果たし得るのか、結果的に被災者は半年たっても瓦礫の山を横にライフラインも途絶えがちなままの生活を強いられている恐ろしい状況です。放置してはいけません。

 万博の強行が復興に影響することはないとの判断が早々になされましたが、諸事万事が成行き・先送りの、大局的判断が無いままの社会になっているのも国民が巨大与党を成立せしめたことと関連していませんか。

 憲法改正論など、日本社会が崩壊しつつある現在の危機からすれば、・・・・・。

 

 それともう一点、女性の社会的地位は一向に高まる気配がありません。さらに、近時、夫婦別姓とか、ジェンダーギャップ、ジェンダーフリーとか、人々の自然な生き方に対する理解や認知が求められていますが、国会レベルでは一向に議論が纏まる気配がありません。

 背景にあるのは、与党議員の多くの方が(女性も含めて)、二十年前位に騒がれた日本会議や、集票活動の一環としてその後は統一教会などと関わって、これによる保守的であったり特異であったりする宗教的思考、それと19~20世紀的思考に固まった高齢政治家が跋扈していることなどに影響されていること、などではないでしょうか。それと公明党が与党であることから、政府が金をバラまけば自民党は創価学会の票が得られるような気配も感じられ、政教分離と言いながらも如何なものか、なかなか複雑な構図です。

 とにかく、国民はどうすれば自分たちの手に政治を取戻すことができるか、色々なことを考え行動するるのが大切な課題と思われます。

 

 それと、我が国の立法、行政を適切に管理する力が衰えた今一つの原因は、誤った政治主導ではないでしょうか。

 過去には官僚が組織的に蓄積した専門的な知識を元に強い権力を行使していた時代が続きました。これを逆手に、政治家が主導せねばならないという動きが活発になってきたと思いますが、時間とともに力を得た与党の政治自体が劣化し、最近は朝令暮改、朝三暮四など、目に余るものがあります。

 原因は、日本ではもともと政治家にその道に必要な研鑽を積む組織的風土がないのか、首相や大臣等は当選回数などに基づく序列での持回りになって、世襲制もあって、専門性を踏まえた人材が育っていないことが挙げられます。政治自体もポピュリズム的になったり、論理性や客観性を欠いたものになっている面もありそうです。

 政策の客観性を謳うために諮問委員会などを定めて方針を整理する手法が多用されるようになっていますが、委員会には当該案件を所管する大臣等の友達的な業界出身者や専門家が任命されるようで、結論もオールジャパン的な客観性や科学性を欠いたものになりがちではないでしょうか。また、言論の自由にも圧力がかかり、これを保障した活発な意見交換の場も失われつつあるように思われてなりません。

 このような影響で、若手の段階で意欲を無くして官僚を退く人も多いようですし、官僚を志願する新卒者の減少にも繋がって、政治体制の見直しとともに官邸主導の遣り方自体を見直さないと、役所の機能の維持・強化という面でも、日本の将来自体が危うい状況に陥っていると思われます。

 

 今一つは、政治の社会で「専門的な知見を有する学者や研究職にある人を敬い、かつ、社会の牽引役の機能を担って貰う。」という文化、風土が失われつつあることです。短絡的に科学者・研究者の鼻面に人参をぶら下げて成果を競わせれば日本の科学や技術が進歩するとして大学や研究機関の財政の効率化を追求し、さらなる問題は、経済界・企業は経費節減のためにポスドク等を使った将来を見据えた新分野開発等の研究開発は国が補助するまで先送りし続けるといった状況が拡大しているように見えます。これが失われた数十年の根底にあるようで、社会や企業に求められるSDGsの本質は何かを問い直しながら、コストカット型でない経営に必要なものが何かを問い直す必要がありそうです。

 資源のない我が国ですから、これまでは物づくりが経済の活力の根源でした。これを裏で支えるゆとりある基礎研究等の展開も可能であったように思われます。

 時間の経過とともに、とりわけ21世紀に入り、物造りが知的創作活動、IT化を含むより高度化した段階に移行しなければいけなかった訳ですが、我が国では失われた30年の初期の段階からか、かかる研究分野・学問分野を維持するための費用が財政圧縮の一環として、研究成果も短期の費用対効果のような視点から厳しく追及され、かつ、政府の趣向に沿わない研究領域や研究者は排除されるような方向に動き出し、優秀な技術者は随分海外に流出しています。さらに困ったことに、グローバリゼーションの名の下、製造業を人件費の安い海外に移しながら、一方の国内では海外と競争するために非正規雇用を増やすことを唯一の政策手段のようにして、勤労者の給与が上がらないままに現在に至っているようです。

 とにかく、教育分野を含めて研究や学問分野への支弁は国を防衛する上での基盤的なものであると考えた、戦略的な整理が必要ではないでしょうか。研究者等の成果は、好奇心ややる気、これを支える心のゆとりがあって齎されるもので、研究者などの大勢が雇用不安を抱えるようでは問題です。

 

 政府は、我が国のかかる領域の根幹にある学術会議自体も行政改革の俎上に載せようとしています。しつこいですが、資源のない日本の発展領域の創出は研究者に委ねる以外の選択肢はない訳で、政治が改革の必要性を感じたなら、その必要性や根拠を明確にした上で、具体的な改革の内容は、あくまでも学術会議に委ねるという対応が適切ではないでしょうか。とにかく、ディジタル赤字への対応まで含めて国として知恵を出し続けるしかない訳ですから。社会科学の分野を含めて、学者、研究者が知恵が出せなくなったら、日本の浮上を諦めるしかなくなるでしょう。

 

 21世紀に入る前から、内外の識者から、「日本は製造業を含めて20世紀とは異質の知的な社会を追究・創出せねばならない。」との指摘が沢山あったように思います。今からでも、中国の経済に吸収されないために、10年先、20年先、50年先と輪郭を描きながらの、今日までの延長戦でない、戦略的な路線を追求、敷き直すべきではないでしょうか。

 

 縷々、書綴りましたが、何が我が国に課せられた課題か、政治を国民の手に取り戻し、国民がステアリングすることが、喫緊の課題ではないでしょうか。

 

 東北大震災からあとは「原子力は安全を最優先し、再生可能エネルギの拡大を図るなかで、可能な限り原子力発電への依存度を低減する」といった整理がなされていましたが、2022年末頃から、エネルギー価格の高騰などがあって、最長60年としていた発電所の運転期間を延長したり、新設や増設、建替えを推進するような方向が打出されています。

 原子力に関しては色々な課題が残されていますので、多少なりとも整理しようと思いました。

 

〇 原子力産業から排出される廃棄物の地層処分

 我が国の原子力発電はトイレなきマンションと揶揄されることもありますが、最終的なごみ処分場が定まらないままに現在に至っています

原子力発電で発生した高レベル放射性廃棄物(最終的にはガラス体に固化して処分する。)や半減期の長い核種を含む低レベル放射性廃棄物は、その放射能が十分低くなるまでに長い期間を要するために、地中深くの安定した地層中に処分することまで決まっています。

 高レベル廃棄物の保存期間は数万年以上(一声、期間10万年と言われているようです)、低レベルの放射性廃棄物にも長期の保管が必要とされています。

 候補地を決定しても、最終的な決定に至る調査は三段階(文献調査、概要調査と精密調査)に展開されるため、都合20年の調査期間が必要とされています。

 調査を経て受入れ地が決まって、施設を建設開始し、操業する(廃棄物の搬入作業が終わって、埋めた箇所を閉じる。)までの事業期間は100年以上と想定されており、このような業務に対応するため、我が国では原子力発電環境整備機構(NUMO)が設立されています。

 保管期間の長さの参考ですが、NUMOの資料では現生人類(ホモ・サピエンス)が出現して25万年が経過しているなどと紹介されています。

 

 このような構想に対して、地質学の専門家等から、我が国の国土はアジア大陸のプレート(ユーラシアプレート)とこれに対して太平洋側から沈み込む複数のプレート(北米プレートとフィリピンプレート、さらにこれらに向かって沈み込む太平洋プレート)の上にあり、かかる目的に沿える安定な地層は無いという見解が示されて現在に至っています。プレートの沈み込む部分は不安定であるが故に、変動帯と呼ばれるようです。

 一方、資源エネルギー庁(経済産業省)は、(不勉強ながら最近報道で知ったのですが)2017年7月に、処分地に相応しい特性が確認できる可能性があると期待できる処分地候補の候補地を示す「科学的特性マップ」を公表して、これを起点に自治体や国民の理解を得て処分地選定を促進しようとして現在に至っているようです。

 私見ですが、このマップを大まかに眺めて気になったのは、本年元旦に大地震が発生しその後も規模の大きい余震が認められる能登地域の大半が安全地帯になっていることや、処分地に期待できる地域と好ましくない特性があると推定される地域が夫々狭い地域として近接している箇所もあり、ひとたび地震でも起れば両方に影響が及ぶのではないかと想像されることです。

 マップがどのような根拠で整理されたかを余程明確に記録しておかないと担当者が定期的に交代する役所の社会では学術・技術的な継承や定期的な見直し作業が難しいように感じられます。

 これまでは、処分地候補として名乗りを上げる自治体が殆ど無いままに推移しているようで、NUMOによる現地調査(処分地選定調査)が進められている北海道の近接した2地点に加えて、新たに九州北部の1地点が手を上げたようです。

 なお、これらの地域についてマップを見ると、北海道の候補地は好ましい特性が期待できる地域となってはいますが、地下深部の安定性の面で好ましくない特性があると推定される地域に囲まれた狭い地域であることから、また、九州の候補地は炭田等の存在地域で将来の掘削等の面で好ましくない特性があると推定されていることから、夫々、調査をすること自体に疑問が感じられます。

 このような観点からは、一旦、候補地が提案されても、役所の管理の一環として、マップ作製等で得られた知見からどのように位置づけるべきか、候補を進めることが適切か、なども検討した方が良いと感じます。

さらに、こういった考慮がないままに政治的な判断で現地調査が推進されるとしたら、仕事の進め方として問題です。最近は役所への就業志願者が減り続けているとのことですが、職場内の作業は指示する側にも受ける側にもしっかりした論理性が確保されていることが前提でしょう。

 それと、自治体(市町村など)が名乗りを上げても、道や県等の長は処分場の導入(三段階ある調査の次のステップへの移行)に拒否権を有しているとのことで、前述の両地点ともに道や県の長は調査前から候補地になることに反対を表明しているようで、調査を、国が補助金(税金)を交付して、さらには調査のための費用を支弁して実施するのは理に適っていない(税金や電気代の無駄遣いになる)ように思われます。調査に着手する前にしっかりと対話することが必要でしょう。

 さて、前述の地質学の専門家の主張は数十年前からで、昨年末にも国の会議に出席した何人かの専門家が「日本には、プレート境界の変動帯の影響で10万年の安定性を保証できる地層は無い。」などと主張したことが報じられています。国は、活断層や火山は繰り返し同じ地域で活動しているのでそういった地域を避けて適地を探すことは可能と主張しているようです。会議に出席されている色々な分野の専門家である常任の委員の皆様の総括的な意見がどうだったか分かりませんが、プレートという大きな塊の周辺部に関するマクロな話と国土をマップ上でミクロに細分化した話とが噛み合わないままに平行線になっているように感じられ、また、地質学の専門家が自由に発言し易い現役を離れた方々で、一方で、常任の委員の皆様が自由な発言をして役割を果たせているのか、等々も、気になる議論です。

 とにかく平行線のような議論を如何に早く脱するか、基本的な前提を先ずクリアにしないと、時間だけがどんどん浪費されます。

 人類の将来に影響を及ぼす作業という面では、最終的には国際的にも情報共有すべき作業でしょうから、原子力の先進国はもとより近隣諸国までを捲込んで議論をすることも一計ではないでしょうか。

 適地が見付かって地元との方向付けができても、調査、建設から操業までには120年以上が想定されています。NUMOの資料では、その前に難航している再処理を軌道に乗せるという難問もあるようですし、そもそも核燃料サイクル自体の路線も固まっているのか、未来の話として先送りに任せるのではなく、100年、200年先の我が国の姿を想像しつつ、現実も直視し総意を結集した迅速な整理が求められています。

 そういえば、先日、テレビで大分県の姫島という小島の風景などが流れていましたが、確か、「30万年くらい前から8万年前くらい前までの間の火山活動によりできた周囲10㎞くらいの島で、八つくらいの火山の痕跡が残っている。」といった紹介が流れていました。何となく10万年という期間の長さがイメージでき、これは大変な長期間だという印象を強くしました。いつもどこかが揺れているような国土に安定性を期待するのは無理というのは本当かも知れません。

 止まるところが見えない円安が課題だと思います。

 円は1995年に最高値を付けて以来、(実質実効為替レートで)凸凹はあるものの、下降一辺倒になっているようで、我が国の経済とともに凋落を続けているようです。

 この間、政治は、常に、「経済再生なくして財政再建なし。」のスローガンで、子・孫の世代に借金を負わせながらバラマキを続けてきたようで、極めつけは現在までのアベノミクスとこれに連動した日銀の異次元の金融緩和だったのではないのでしょうか。

 企業(経営者)や、経済界にもバラマかれた甘い汁が流込み、21世紀型事業創出のための開発や設備投資への意欲を削ぎながら、内部留保は増やしつつも従業員の給与や下請への配分を絞る社会構造が定着して現在に至った感があります。アベノミクスはいつの間にか幟も立たなくなり、国民の経済格差は拡大し、将来に対する希望を失わせつつ、30年を超える時間が経過したことになります。

 途上で、「アベノミックスの辿り着いたゼロ金利政策は太平洋戦争末期の特攻隊出撃だ。」という評論を目にしたこともありました。現在の国の債務は太平洋戦争末期のそれを超えているような見方もあるようです。 

 このままでは経済の破綻も迫っているのかも知れません。何もないままに推移したとしても、更なる30年など直ぐに経過して2050年を超えてしまいますが、炭酸ガスを垂流しながらの貧困国に落込んでいるかも知れません。最近は工場災害も頻発しているようですが、二度目の原子力事故でも起こればどん底です。

 後ろに進んでいるのは日本だけの状況ですが、国民の力を結集して何とかせねばなりません。

 政治には常に大きな実験的、試行的要素があるのは間違いないでしょうが、下り坂に乗っているにも関わらず、無策のまま、失われた30年とか。あたかも自然現象であるかのように扱っているのは・・・・・、何とかこのような体制を建直さねばなりません。

 この先の政治では、熟慮・熟考を踏まえたPDCAの科学的な管理サイクルを徹底し、項目によっては毎年、項目によっては2年に1回と、間断なくサイクルを繰り返して目標に邁進することが必須でしょう。

 どなたの著作だったか、米国は太平洋戦争突入直後から、知識人、日本通を集めて戦後の日本占領後の統治政策の検討に着手していたそうです。我が国の施策には、「必要なことは全部やります。」とか、「できることは全てやります。」と言いながらあとは成行きというか、後追いのパッチワークのようなものが多すぎるように思われます。キチンと5年後、10年後を予測しながら、当面は細密な展開方策を立案できる取組や政治・行政体制の構築が必要ではないでしょうか。マネージメント自体、科学的でなければなりません。

 大変難しい命題のように思われますが、急ぐべきは、やるべきことをやるという新しい政治で、喫緊の円安問題も、このような決意を持った政治体制が主導して、原因と対策を浮き上がらせたうえで、政治と中央銀行である日銀とが正しく責任を分ちあった経済・財政の再建ではないでしょうか。

 現在のマスコミの報道を見ていると、円安を齎したのは日銀で、これをどのように脱出するかも日銀の采配次第といった、政治までもが外野席のような論評が目立ちますが、円安を止めるためには、先ずは政治がこれまでの政治を責任を持って見直すことが不可欠で、その上で中央銀行としての日銀の役割があるのではありませんか。

 国民の政治参加意識の低さや、戦後の民主主義や民主政治の未熟さも関係しているように思え、改めて原点に戻って考えないといけないことも沢山あるように思えます。

 憲法自体、国会議員は選良であることを前提にしているとしか思えませんが、そうであっても、例えば、財政については英国の財政責任庁のような独立した機関に監督させるとか、衆議院統合して一院制で良いのではないかと言われることの多い参議院は、これを真の良識の府に編成替えすべく何らかの具体的な方策を講じる、等の改革も考えられるように思われます。

 政治の見直しという面では、都政においても然り。困窮して過疎化や衰退に向かう自治体が多い状況下で、自治体一番の豊かな財政があるとしても、これをベースに都だけには特権があるようなバラマキ政治になっている点も見直さないといけないと思われます。

 須らく、何とかならないかと思う次第です。

 

  2月2日の新聞の1面にあった、「航空エコ燃料確保 国が主導」という見出しに驚きました。国が、新燃料の共同調達や製造会社への資金支援を主導することが想定されているそうです。今更と言えなくもないですが、「日本は社会主義国家ではないか。」といった印象を強く受けました。

 コロナ禍に痛められたとはいえ、何年先か、何十年先かを見越してエコ燃料がどうなるかを追求・研究し、エコ燃料確保に遅れないよう邁進しないといけないのは民間の航空業界なり航空会社の役割というか、本来業務の筈ですが、それを追って海外にまで雄飛するとか、エコ燃料の供給を目指す国内企業を糾合して国産化戦略を立てるといった活力や行動力は民間にはないということでしょうか。

 国際民間航空機関(ICAO)は、国際線のCO2排出量を2050年に実質ゼロにすると決め、先進国の航空会社は2024年から2019年比で15%/年の削減が義務化されているようです。

 随分長期にわたる挑戦ですから、30年近い先の社会のエネルギー構成を睨み、推察しながら、時点、時点の科学的、技術的知見を集約して、2050年までの技術の変革や革新を描くという研究プロセスを、実践された変革や革新を見ながら繰返す、根気強い仕事が求められています。

 このような視点に立てば、現在、想定されているエコ燃料の予測自体正しいかも問題です。新燃料の脱炭素性能は、その時点時点でのエネルギー環境、すなわち、新燃料の製造に使用する電力は何によるかでも変動し、さらにその原料の市場確保性や、原料から製品に至るまでの変換プロセスの効率等によってもでも変動するので、技術の進展や技術革新を見ながら脱炭素性を継続的に繰り返し評価するライフサイクルアセスメントが非常に重要です。

 現時点であれば、複数の選択肢を追求せざるを得ないでしょうが、とにかく日本がエネルギー資源でも何でも、海外から安いものを購入できる時代は完全に終わったことを自覚した対応が必須ですし、民間が頑張らないと上手くいく筈がありません。これを合理的に展開するためには、先ずは国内の研究者や大学等の研究機関を活用することが重要ですし、これには、受益当事者である航空業界が頑張るしかありません。

 航空業界こそが世界を俯瞰し易い立ち位置にあるのえでゃないでしょうか。

 ポスドクが就職難に喘いでいる不思議な国 日本の現状も解消する一翼として、頑張って頂きたいと思います。

 新し物好きのせいで、何年か前にカードを取得しました。一昨年でしたか、一律のコロナ給付金支給の際には、早々に手続きできたと思いますが、引越もしていませんし、それ以外でご利益があったか、思い出せません。

 

 今回、所定の所有期間が過ぎて、電子証明書を更新する手続の通知を受けました。

 届いた書式に住所、氏名に加えて、カード取得時に申請した電子照明等に関わる3種類の暗証番号を記載して持参することが求められていました。滅多に使わないもので、暗証番号を記載したメモを探し出すのに一苦労でした。

 役所の窓口では、前述の書式は確認を経て返却され、また、新しい書式とボールペンを渡されて、記入して下さいと。この書式が求めているのは、住所、氏名と電話番号等でしたか。

 ここでむっと来て、「その辺はカードに書いてあるでしょうから、そちらで読める筈で、何度、同じような書類に記入させるのですか。役所には、ディジタル化に相応しい方法を考えている人はいないのですか。」と尋ねましたが、所詮、窓口ですから、「そういわれても。」でお仕舞に。不思議に思いつつ、指示を承り、更新を終えました。

 

 ここで思い出したのが、最近の個人的な体験です。

 5〜6年前に役所に提出した申請書の控えを紛失し、この写を入手したいと、電話で担当部署に相談しました。

 申請書は役所が受理すると公文書になるとのことで、先ず、担当部署を訪ねて公文書開示の申請をするようにとの指示でした。

 役所に出向いて、開示申請書の書式(後日、これは役所のHPからダウンロードできることを見付けました。)を受取り、その場で記入して提出しました。部署内の開示審査を経た許可(決裁)書類は、後日、郵送するので、数日待つようにとの、その日の説明でした。

 

 後日、自治体長印が押された立派な厚手の紙の許可書類を受領し、改めて、担当部署に出頭すると、先ず「A4、4枚のコピー代¥40を役所内の銀行で払って、領収書をお持ち下さい。」と。

 (決裁書類と一緒に)受領していた請求書を銀行窓口に提示したところ、「それは役所の請求書で、ここでは銀行への振込のための書式に記入して下さい。」とのことでした。

 銀行の領収書を持って担当部署に戻って、漸くコピー4枚を入手できた次第です。

 ¥40と2往復分の電車賃と自分が負担するしかない手間賃が住民側の原価でしたが、役所側の人件費を含む処理経費は相当掛かっただろうと思うと、この折も不思議な気持ちでした。

 

 二つの事例は住人が関わる業務の一例にしか過ぎないのでしょうが、役所にはこれに類似のものも、また、類似でないものも、沢山、あるでしょうし、役所内部だけの業務も、もっとあるかも知れません。

 国から自治体迄、マイナンバーカードの活用・普及のために、同じ土俵で考えないといけない課題も沢山あると思われますが、ここで一区切りとします。