https://x.com/hatanohiroshi/status/1728100873363157468?s=46&t=NORFaRgm4Ijh6qYteDF8Ww
私の子宮体がんは、ステージ1a、「がんの顔つき」はグレード3。
進行は初期だが、タチは最高レベルで悪いというタイプ。
術後で分かったことは、「リンパ節にはがん細胞は見られないが、再発リスクは中程度」。よって、予防的に抗がん剤治療を6回行うことになった。
んー。
死と隣り合わせではないにしろ(実は、生きてる限り隣り合わせなんだろうけど)、両手を上げて「良かったー、助かった。命拾いした!」とは思えない。
ビフォーアフターではないが、治療が終わったからといって、がんになる前の自分には戻れない。
「がん陽性」とだけ分かってからは、「がん=死」しか頭になかった。詳しいことは分からないから、最悪を想像、想定して動いていた。感情もまた同じ。
猫を2匹看取り、祖父祖母叔父をがんで看送った。病で見ていられないほどの苦しみの中にあった…ということは、一度もなかったけど。
旅立つ姿は、残された者への最後の教え?みたいなことを聞いたことがある。
いつかは、必ず私も行く道。
分かっていたはずだけど、突然目の前にその道が現れると、まぁ…ビビるビビる。
派手に転倒しないよう、人生の坂道を下るのに、五十路前から必死な日々だったのが、急に転げ落ちていく感覚。
歳の差婚なので、同年代の人よりは老いることや死ぬことは、身近なこととして捉えてきたつもりだった。でも、それは夫のことであって、自分のことではなかったんだよなぁ。両親、夫、猫を看取るのが、私の人生の役割だと思ってきたから。そのつもりで、健康を意識してきたつもりだったし。
ところがどっこい…だ。
若い時に夢や希望で溢れるの良いが、もう一方で、「老いと死」について考える時間を待つのもよさそう。
若い人は忙しいし、故郷から離れていたりするから、身近な人の死を見届けるということが少なくなっているのでは?
目を背けたいことでもあり、見ないフリをしたくなることでもある。
後悔しないためというより(どんなことにも多少後悔は生まれるだろう)、自分の生き方の選択肢を増やすことになるのではと、今の私は思っている。
病気や死は、怖くて出来れば避けたいと思う。その反面、「生が光で死が闇」だとは思えない。思いたくない。