教育的効果。
みんなで・・・みたいな形式的効果はある。
作成におとなしく参加する態度を養うから。
ただ、時間と手間が激しくかかるから、かなり効率が悪い。
最終稿確認済みでも、業者の間違いで一文字違っていて、
夜中に訂正シール張らされて、しかも、うちの子がシールなんてかわいそう、
全部作り直せと、怒鳴りこまれもした。
アルバムは業者としてもおいしくない仕事。
部数無くて、安い。
実際、5倍くらい値段ほしい。
昔、撮影業界にも製本業界にもいたからわかる。
が、家庭には大きな負担。
親にも学校にも業者にもそんなに負担ならやめたらいいとずっと思っていた。
業者は行事のスナップ写真の売り上げでなんとかトントン。
データは業者が持っているから、途中で安いところに変えたりもなかなかできない。
元の業者がつぶれたときに一度経験した程度だ。
文集は業者抱き合わせから自校別刷りとなり、製本まで学担の夜なべ仕事。
年度末で、印刷機も製本機もなかなかあかない時期にだった。
やめるなら親の手でと頑張った役員は、その印刷製本作業の過酷さ、
よその子供を相手にした原稿取得や校正の不確実さ、果てはあらぬ責任追及等を経験して、
意志の強い一部を除き、みんなひどい仕事だったとこぼしていた。
役所はもちろん、文集やれとか命令してないもんとしれっとしている。
運動会も発表会もプールもスキーも・・・やれなんて言ってない。
しかし、やらなくて騒がれれば、委員会に呼ばれて説明しろってことになるから
めんどくさい。
まあ、勤評だってよくつけても悪くつけても、呼ばれて説明しろってなるから
前と同じか中間にしとく。
説明すればいいじゃん?
や、納得しないからまた説明してって何回もね・・・何回も同じこと・・・
結果、つまり役所の意思なんだねと忖度する。
役所が早く上げたい人をもらったらもちろん中間でも呼ばれる。
役所からすれば、ちゃんと忖度しろよ、手間増やしやがって。
だ。
だから、そういう人は校長にしなければいい、って自然となる。
保護者や部下とは違う意味で、
あんなの校長に上げたのは誰だよって気持ち、持ったことない役人はいない。
多忙極まりないのは学校だけではないのだから。
よくわかるから、切ない。
除雪を減らせば人員も予算も助かる。
今、一時のこと。
果たして卒業文集もそうなのか。
しかし、これは未来にかかわること。
同じではないかもしれない。
そう念じて昭和から長年やってきた。
だからこの事象は
矢尽き刀折れて、倒れるときが来ている
というあらわれのひとつとして、所感を記しておく気になった。
現在の状況に至る数々の失策が見直されはしなかったのだから、
無駄な雑感。