本音と本音がぶつかり合う世界。
なぜ、この社会には、契約書の類が存在するのか。
それは、人間、未熟だからである。
未熟が故に、人間同士の信頼関係は希薄で、殺伐としたものとなり、互いの約束事への不安から契約書の類が必要になってしまう。
なぜ、そのようなものが、親子や兄弟関係にも必要となるのか?
口伝、口約束がなぜ成立せぬ。
これは現代社会の程度の低さがそうさせてしまっている。
「見えるものだけが正」とする社会は、何と生き辛いことか。
見えないものを感じ、認知し、信じることができる人間性と互いの信頼があれば、口約束は立派に成立する。
「何をキレイごとを!」と抜かす輩。
騙し騙されの人間社会の残骸の上に生きているということをいつまで気付けぬのだ。
「そんな口約束などでは、生産性や効率性が低くて、仕事になりません。ハンコや署名こそが立派な信頼の証です。これがなければ社会は絶対に廻りません。」
ああ、お主、さぞ辛い人生に見える。
見えないもの同士、未熟者の人間同士の社会ならば、残念ながらこれが必然か。
否、そうではない。
本当に大事な約束事、人生の約束事はどうか。
天は、己との約束を絶対に忘れ、消すことは無い。
人間、分かっていないことが分っていない自分だから間違いが起こる。
ああ、人間はあてにならぬ。
契約書の類は、もっとだ。
このような茶番な人生をいつまで続けるのか。
建て前はもういい。
本音で生きよ。
実相は、本音と本音がぶつかり合う世界。
だから口約束、口伝が成立する。
そのことを肝に銘じ、一つひとつの約束事を決して忘れることなく、人として守り、履行します。
有難う御座います。