科学と合わせ、同じくらい大事な「意学」というものがある。
クォークとレプトン、さらにニュートリノに分類されるフェルミ粒子、ゲージ粒子、ヒッグス粒子のボース素粒子、ゲージ粒子の重力子であるグラビトン…。
地球における科学は、限界に達してる。
即ち、そこから先は、知ることが許されていないということだ。
本来、超大宇宙に存在する15次元以上先の超科学が現科学の元となっている。
人間科学は、ほんの一部だけ、アクセスが許され、科学者たちは、そこから科学の真理を得ている。
これが真実。
そして、この科学と合わせ、同じくらい大事な「意学」というものがある。
これはいわば「心学」と言ってもいい。
この人間社会において、この「意学」が学問として扱われず、蔑ろにされてきた。
従って、わずか1~2万年足らずで人心荒廃が起きたということだ。
総ては心の上に生成されている。
然らば、心を学び、心を大事に心を正す必要がある。
結して、心を汚してはならない。
人の基本は心にある。
本来、心は完善の働きでなければならない。
この完善か崩れた生き方をすれば、崩れた分だけその反動で不幸事が起きていくのである。
世に言うアミーダ(阿弥陀)即ち、心。
人類は、この「意学」について、一から学び直さねばならない。
そのことを肝に銘じ、今日一日を生きます。
有難う御座います。