大高城(尾張国) | 三日月の館

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登城日  2012年12月22日(土)曇
難易度  ☆
場所   名古屋市緑区大高町

 

桶狭間の戦いの際、松平元康(後の徳川家康)が守備していた城です。

 

最寄駅はJR東海道本線大高駅。

ホームから見た大高城。
駅の西南にあります。

駅から大高城へ向かって進む。
八幡社前を通過。

説明板。
大高城主花井備中守が鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したものと云う。

大高川を渡る。

渡った所の江明公園は、

旧知多郡大高町役場跡地。

ここから城下町かな。
周辺には古い建物が残る。

少し進むと鍵曲りになっている。

鍵曲りの辻に秋葉社。

説明板。

辻から西南へ進んだ所に登城口があります。

登城道。
曲輪が段々になっています。

説明板。

【大高城跡】
(指定地面積40.613㎡)
付 丸根砦跡・鷲津砦跡

知多半島の脊梁山地の末端近くに、 西側が開けた丘陵上に築かれた東西約106m、南北約32mの 山城である。
室町時代、永正年間(1504~21)に、花井備中守によって築かれたものと伝えられる。
戦国時代、天文・弘治年間(1532~58)の頃には、水野忠氏父子が居城していたが、はじめ今川氏に属し、後に織田氏についたため、今川方の鳴海城主山口左馬之助に攻められ、今川義元の家臣鵜殿長照が入った。
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いの時に、松平元康(徳川家康)が、織田方の包囲の中を兵糧の運び入れに成功し、そのまま城を守った。
元康は義元が討たれ、今川方が敗走するまでいて、今川方撤退後に父祖の城である岡崎城に入った。
大高城は戦略上の価値を失い廃城となったが、元和2年(1616)尾張藩家老志水忠宗が城跡に館を構えたが、明治3年に廃止された。
現在は、本丸・二の丸とこれを分ける内堀が良く残っているが、外堀土塁などは急傾斜の地形を安全上の理由から改変し、昔の面影は薄い。

名古屋市教育委員会

 

大高城域図を拡大。

大高城絵図(蓬左文庫蔵、転載不可)

Ⅱの曲輪直下のⅤの曲輪北側。

進むと、大高善光寺とも言われる白祐山海岸寺へ行けるようだ。
宗派は天台山。
開基は織田信長。

城下を見下ろす。

登城道を見る。

登城道は、西側のⅤ曲輪経由で登ることも出来ますが…

城址碑と説明板。

説明板。

直登します。

Ⅱ曲輪虎口。

Ⅱ曲輪。

鷲津砦を見る。

Ⅱ曲輪から虎口を振り返る。

Ⅱ曲輪はⅠ曲輪の南東側にあり、細長く広い。

Ⅱ曲輪からⅠ曲輪を見る。

お地蔵さま。

お地蔵さまの北側の窪み。
虎口かな?

Ⅰ曲輪。
西北隅に櫓台があった。

大高城址碑。

櫓台跡に鎮座する城山八幡宮。

村の有力者山口源兵衛寄進の手水鉢。

Ⅰ曲輪の東側を見る。

Ⅰ曲輪からⅡ曲輪を見る。

Ⅰ曲輪南側を見る。

Ⅱ曲輪からⅢ曲輪への土橋。

Ⅲ曲輪へは行かずに、Ⅰ曲輪の西側へ。

下りて行く。

西側は深い空堀。

東側のⅠ曲輪櫓台を見上げる。

Ⅰ曲輪櫓台西側下の小さな曲輪。

さらに下りて行く。

Ⅰ曲輪北側下のⅤ曲輪。
そのまま進めば登城口へ戻る。

振り返る。

下りて行く。

下りた所。

空堀北端。

空堀を覗いてみる。

振り返る。

Ⅳ曲輪へ向かう。

Ⅳ曲輪。

Ⅳ曲輪から城下を見下ろす。

西側に登城口。

Ⅲ曲輪へ向かう。

Ⅲ曲輪からⅣ曲輪の方を振り返る。

Ⅲ曲輪からⅡ曲輪への土橋。

Ⅲ曲輪南側の空堀。

その南側は高低差がなく城域がぼやける。

空堀の東端付近。
櫓台があったかな?

Ⅲ曲輪から空堀の方を見る。

Ⅲ曲輪の南側。
薄気味悪い。

城下を見下ろす。

この辺りは急傾斜地崩壊危険区域。

Ⅲ曲輪南端。

南端から振り返る。

Ⅲ曲輪へ戻る。

Ⅲ曲輪南側から下城。

振り返る。

遺構が良く残る大高城でした。

 

(おまけ)

 

大高城南側の道を少し西へ。

大高城主水野大膳が父の和泉守忠氏の菩提を祀るために建てた春江院があります。

山門。

土塁に囲まれた参道。

反対側から見る。

境内の建物は国の登録有形文化財。

大高駅へ向かう帰り道、大高北小学校の校庭で砦発見!
資料館らしい。

近づけないのが残念でした。