161 岸和田城 その1(和泉国) | 三日月の館

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登城日  1回目 2000年 9月10日(日)晴
       2回目 2010年 8月28日(土)晴
難易度 ☆
場所   大阪府岸和田市岸城町9-1

 

だんじりの街に聳える城です。

 

最寄駅は南海本線岸和田駅です。
岸和田駅前商店街のアーケード。
「岸和田城とだんじり祭り」

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南海本線の線路沿いを和歌山方面へ進むと、岸和田駅南交差点に到達する。
ここは外堀跡。
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北へ進むと城見橋交差点。
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付近を流れる古城川の石垣。
当時のものかどうかは解りません。
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城見橋から南西を見る。
道路が外堀。
そしてこの正面に東大手門があった。
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東大手門付近の長屋門っぽい家。
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市立図書館。
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城っぽい。
石垣は当時のものではありません。
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現存する武家屋敷。
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非公開なので、外から覗くしかありません。
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武家屋敷の前には堀があった。
堀は埋め立てられたが、切岸が見えた。
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ここには門があった。
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模型で説明いたしますと、手前の東大手門から入り、二番目の堀の土橋の所です。
模型には「東取垣(切)」と書いてある。
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この辺りは三之曲輪。
塀の辺りに堀があった。
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三之曲輪の「別寅かまぼこ」の城内寮。
別寅かまぼこは岸和田に本社を置くかまぼこメーカー。
立派ですね。
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岸城神社。

 

所在地  大阪府岸和田市岸城町11-30
主祭神  天照皇大神・素盞嗚尊・品陀別命
創建    正平7年(1362)
沼天神の縁起によれば、正平17年(1362)沼の長、沼将監は京都八坂神社より牛頭天王社を勧請し、氏神として邸内に祀った。これが天神宮の始まりである。将監の父が病気になった時・平癒を祈願して霊験があったので、村人は参拝させてほしいと頼み込み、為に村人に開放された。その後同社に天照大神、八幡大神が別社として祀られるようになった。慶長元年(1596)小出播磨守が、天神宮を岸和田城内に分祀して城の守護神とし神明社といった。明治初年浜の各町、本町、南町、北町の小社をこの宮に合祀し、社名を岸城神社と改めた。また、岸城神社の奥まった所(今の戎殿の右側)に宮寺として、天台宗東叡山寛永寺の末寺「日光寺」があった。小出氏城主の時、同郷(但馬国出石)のよしみで、沢庵和尚がたびたびこの寺を訪れている。牛頭天王は仏教系の神様で祇園天神ともいわれ、水神としても信仰され、やがて疫病(病気の神)を支配する神となり、庶民から絶大な信仰をあつめた。神道では牛頭天王は五穀豊穣を司る倉稲魂神といわれ、厄除けの神になった。素戔鳴尊とも結びついて、五穀豊穣、厄除けの神になった。(「岸和田城下めぐり」より)
鳥居。
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手水舎。
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ミニ岸和田城。
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また鳥居。
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本殿。
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ちぎり(千亀利)。
縁結びと心願成就の神という。
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本殿裏の御神馬。
その裏に岸和田城三之曲輪の土塁が残存。
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境内には堀と石垣の一部も残存。
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最後に御朱印。
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東中門跡から二之曲輪へと進む。
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岸和田城本丸がようやく見えました。
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南東から見る。
よく残ったものです。
素晴らしい!
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内堀に沿って、二之曲輪の石垣が残る。
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南西から見る。
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西から見る。
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土橋を渡り二の丸へ。
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土橋から二の丸を見る。
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元々は、ここが本丸だったそうです。
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ここには御殿が建っていました。
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今は心技館(武道場)が建つのみ。
(現存ではありません)
刻印石があったらしいが、見落としました。
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本丸へ。
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復興櫓門。
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岸和田城址碑。
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岡部氏記念碑。
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模擬天守群。
本来は五重の天守閣だった。
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つづく