蒲御厨(浜松市東区) | 三日月の館

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中世、浜松市の南東部には蒲御厨がありました。

 

 【蒲御厨の概要】

平安時代以来、遠江国にあった伊勢神宮の御厨。西に浜松庄の引間(ひくま)宿、東に池田庄(松尾社領)の池田宿があり、交通の要衝にあった。

初め天竜川は池田庄の東を流れたが、河道の変遷により、南北朝時代には池田庄の西、蒲御厨の東を流れて現在に至っている。

御厨は大きく東方・西方に分かれており、西方にあった蒲神明(しんめい)社が伊勢神宮の現地経営の拠点であった。

蒲神明社検校(けんぎょう)はこの地の開発領主の後裔(こうえい)とみられ、免田(めんでん)をもち、神供田(じんぐでん)を支配するとともに、鎌倉時代には地頭北条氏のもとで代官を勤めた。

やがて元中8年・明徳2年(1391)に足利義満が地頭職を東大寺に寄進した。東大寺のもとで室町中期には守護斯波氏の被官応嶋(越前の国人)氏や三河吉良氏の被官大河内氏などが代官職を請け負い、御厨西方および東方の諸公文(くもん)の動きと相まって複雑な情況を示した。

東大寺への年貢は麦109石余、豆176石余、定役(じょうやく)(実体は不明)125貫余などが主たるもので、米は少なく畑作が優越していた。

康正2年(1456)に起こった蒲諸公文百姓らの引間市土倉襲撃事件は、徳政一揆として著名である。

(Yahoo!百科事典より)

 

蒲御厨で有名なのは、源範頼の生誕地であることです。
源範頼は鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟で、生誕地に因んで蒲冠者(かばのかんじゃ)、蒲殿(かばどの)と呼ばれた。
蒲御厨を訪ねてみました。

 

まず、蒲御厨の経営拠点であったという蒲神明宮を目指します。
旧東海道沿いにある鳥居。

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しばらく北へ歩いてようやく到着。
源範頼は、蒲御厨の蒲氏(藤原氏一族)のもと、このあたりで育ったという。

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由緒書き。

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社殿。

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賽銭箱が畳に埋め込まれていた。
珍しいのでは。

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大きな楠。

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何て書いてあるのだろう?

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蒲桜。
本物は埼玉県北本市石戸宿にある。

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説明板。

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東隣の公園にあった石碑。
このあたりの森は「袖紫ヶ森」と呼ばれていたそうです。

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西隣には、蒲幼稚園があります。
蒲が河馬(KABA)に変わってる!

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次に、源範頼を養育したという蒲氏の屋敷跡へ行ってみました。
屋敷跡は、浜松市東区大蒲町にあったそうです。
あまりに高貴な方の屋敷なので、付近を通る大小名は一礼して進んだという。
蒲氏が去った後も、地元の人は手をつけずにいたため、近年まで土塁と堀が良く残っていたという。
(浜松市中央図書館にあった本には写真が載っていました。)
しかし、土地区画整理事業により消滅。
今では良く解りません。
近くの通りの愛称に「屋敷通り」と名が付けられていますが、名残でしょうか。
屋敷の北に位置する光禅寺。
蒲氏の氏寺で墓があるそうですが、良く解らなかったです。

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隣には、八柱神社がありました。

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西にある子安神社。

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源範頼創建と伝わる。

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付近は、とにかく「蒲」だらけでした。

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最後に、源範頼の別荘地であったという龍泉寺へ向かいました。
こっちが源範頼が生まれ育ったところという説もある。

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赤門だった。

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説明板。

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本堂。

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隣にはリンゴの木が植えてありました。

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何と!ニュートンのリンゴの木だそうです。

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境内の東隣には、源範頼の供養塔がある。

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供養塔。
墓は伊豆修善寺にある。

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別荘は堀で囲まれていた。
堀跡が残る。

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南には愛馬の墓という駒塚がある。

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駒塚の様子。

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説明の石碑。
伊豆の修善寺で殺された主人の首をくわえて龍泉寺にたどり着き倒れたという。

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源平合戦の中で、源義経と比べると、源範頼は地味な感じで、あまり注目されません。
こんなところで生まれ育ったのですね。

 

(おまけ)

 

うなぎ弁当


評価 ☆☆☆

 

浜松駅弁。
自笑亭が調整。
赤ワイン仕込みと白ワイン仕込みがある。
こちらは赤ワイン仕込み。

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あまりの高さにめったに食べれない。

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浜松は「うなぎ」で有名ですが、うなぎの蒲焼きとは「蒲御厨」に由来するのではと思いましたが、調べてみたら、植物の蒲の穂に由来するそうです。

 

浜松に本社がある三立製菓の源氏パイ。

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こちらも、源範頼の生誕地であることに由来するのではと思いましたが、商品が発売になる翌年(昭和41年)のNHKの大河ドラマが「源義経」であったため、そのブームに乗ることを見越して命名されたということです。

 

義経かい!
やっぱり、蒲冠者源範頼の存在は薄かった。