越中国府跡(富山県高岡市) | 三日月の館

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場所 富山県高岡市伏木古国府17番1号

 

越中国の国府は高岡市伏木にありました。

 

JR高岡駅前にある大伴家持像。

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かたかごの花をよぢ折る歌

 もののふの八十をとめらが挹みまがふ
       寺井の上のかたかごの花

【大伴家持卿】

大伴家持卿は日本最古で最大の歌集「万葉集」の代表的な歌人であり、その編纂に深い関係があるとされている。
天平18年(746)から天平勝宝3年(751)までの5年間、越中国守として高岡市伏木古国府に在任し、この間越中を中心とした豊かな風土に接して約220首の歌を詠んだ。

 

大伴家持が勤務していたと云う越中国府の最寄駅はJR氷見線伏木駅。

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駅のポストにも大伴家持。

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デカローソクのお寺「勝興寺」を目指す。

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駅前から坂になっている。

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この辺りの地名は「古国府」。
古来、越中国の国府があったことに由来。
また、加賀藩領内で明治直前まで寺内町の形を保った唯一の町。

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坂を登った所に伏木気象資料館(旧伏木測候所)があります。

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説明板。

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【高岡市伏木気象資料館】

伏木測候所は、明治16年に伏木港近代化の恩人藤井能三らの手によって、わが国初の私立測候所として設立された。
その後、県営・国営への移管を経て、平成10年に無人化されたが、現在も気象観測を続けている。
この庁舎は明治42年に建築された洋風建築であり測候所建物としても希少価値が高い。

 

建物は国の登録有形文化財。

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天気予報に出てくる伏木って何処だろう?
と不思議に思っていましたがようやく解かりました。

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さて、この地は越中国守の官舎があった所と云う。

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説明板。

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越中国守館跡を後にします。

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国守館の西に越中国府があったと云う。
今は、越中国府跡に勝興寺が建っています。

 

所在地  富山県高岡市伏木古国府17番1号
山号   雲龍山
宗派   浄土真宗本願寺派
本尊   阿弥陀如来
創建   文明3年(1471)
開山   蓮如

 

勝興寺総門。
国の重要文化財である総門は現在修復の為撤去されている。
平成29年に修復完了予定。

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勝興寺説明板。

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【勝興寺の伽藍】

勝興寺は文明3年(1471)に本願寺8世蓮如上人が、北陸布教の拠点として越中国砺波郡蟹谷庄土山(現在の福光町土山)に営んだ土山御坊を前身とする浄土真宗本願寺派の寺院である。
その後、蓮如の子孫が代々住職を勤め、「連枝寺院」としての格式を背景に、近世以降は本願寺や加賀藩前田家と結び越中国の触頭としてその勢力を誇った。
勝興寺が現在の地に移ったのは天正12年(1584)のことである。
広大な境内地は、奈良時代以来の越中国府跡と伝えられる台地上にある。四周には中世の城郭の遺構とみられる土塁や空濠がめぐらされ、特異な形状をしている。
建造物は、境内の南側に建つ「堂舎群」と北側に建つ「殿舎群」の性格を異にする2つの建造物群で構成されている。
総門をくぐって左に進むと、堂舎群の入口にあたる「唐門」、その奥に京都西本願寺の阿弥陀堂を模して建てられたという「本堂」があり、本堂の前方には「経堂」、「鼓堂」などが建つ。
これらが堂舎部分である。
一方、総門をくぐって右手前方に進むと、、殿舎群の入口である「式台門」の奥に、南北に棟を連ねる大広間及び式台を入口とする本坊の建物が建つ。
「大広間」の後方には、「寺務所」と「小書院」を挟んで「書院」と「奥書院」が、また「式台」の後方には「台所」がそれぞれ雁行状に建てられている。
このような形式は、中世末から近世初期にかけて確立された建築様式である「書院造」の典型的な配置を示すものであり、地方においてはあまり例がない。
勝興寺の堂舎群、殿舎群並びに総門、唐門、式台門は近世の大寺院の伽藍を構成する建築群として貴重で、近世寺院の歴史を知る上で高い価値が認められる。
また、大広間及び式台、書院及び奥書院は、それぞれ室内の意匠に特徴を備えた上質の住宅建築としても価値がある。
このように、勝興寺には地方都市としては破格の規模を持つ「本堂」をはじめ、価値の高い建造物がほとんど残されており、建築史上たいへん貴重なものであるとして、昭和63年1月13日に「本堂」及び「唐門」が、さらに平成7年12月26日には10棟が重要文化財に追加指定され、合計12棟の建造物が重要文化財となっている。                                        
高岡市教育委員会

 

境内配置図。

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境内測量図。

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総門を入っていきなり鼓堂。

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北側には土塁。

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鼓堂前の堀跡。

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京都の興正寺から移築されたと云う唐門。

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手水舎の脇に七不思議の一つ②天から降った石。

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他も探してみる。

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①実ならずの銀杏。

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破格の規模の本堂は、西本願寺本堂を模して寛政7年(1795)に建てられた。

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本堂角。

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見上げると、④屋根を支える猿。

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国の重要文化財が点在する殿舎群は立入禁止。

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立入禁止内に⑦三葉の松。

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本堂内部。
蓮如上人が使われる時だけ自然と水が出たと伝わる⑥雲龍の硯は写真でしか見れなかった。

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デカローソク。

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⑤魔除けの柱。

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本堂を出て、本堂前南側にある経堂。

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その西側に③水の涸れない池。

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池の西側に「越中国庁址」の碑。

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南側の土塁。

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登ってみる。

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土塁の外側にも空濠。

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本堂裏の土塁と空濠。

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境内の外へ行ってみる。
外側から見た南側の空濠と土塁。

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境内の南には御亭角廃寺跡がある。

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説明板。

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この南西の住宅街の中にも高い土塁が残る。

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遠くに二上山が見えた。
この付近の史跡を見て廻ると、よく二上山が出てくる。

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南西隅の土塁と空濠。

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「椿の道」という散策路から見た空濠。

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北西隅にある万葉寺井の跡。

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説明板。

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勝興寺北側を見る。
深い谷になっている。

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越中国府跡に建つ勝興寺を一周しました。
最後に高岡市万葉歴史館へ。

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越中と万葉集の関わりをテーマにした資料館。
大伴家持と越中国のことが学べます。

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地下には専門書がズラリ。

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歴史館にあった越中国府の模型。

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最後に越中国印。

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万葉の世界と中世の城郭寺院の史跡が楽しめる越中国府跡でした。

 

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