所在地 愛知県一宮市花池2-15-2
主祭神 大物主神
創建 不明
もう一つの尾張国の一の宮です。
最寄駅は名鉄名古屋本線妙興寺駅かな。
駅からピアゴ前の道を西へ歩いて行き、宮地2丁目東交差点を右折して北西へ進みます。
少し行った所に参道があります。
特に表示はありません。

真っすぐ進むと大神神社が鎮座しています。
社殿前に藩屏があるのが見えますが、その前に玉垣があって進めません。

東側に鳥居があります。

由来。

鎮座地 愛知県一宮市花池2丁目15番ノ2
(旧鎮座地 愛知県一宮市大和町宮地花池字西屋敷)
社格 延喜式内社・旧郷社
祭神 大物主神
崇神天皇の御代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱。
大和の国一の宮大神神社の祭神で、三輪の神とよばれ、大国主神(大国様)の別名がある。
大和の大神神社と同じく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。
鎮座地の花池は水が美しく、蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。
奈良時代に国司が赴任して、国中の神社を代表として国府宮の「尾張大国霊神社」を尾張の総社に指定。
次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」と言うことで「尾張一の宮」に指定した。
「文徳実録」「尾張國帳」には従一位大名神とあり三宮明神・三名神(神宝として珠・鏡・矢お三種の御証印があった)と称せられ、延長5年延喜式神明帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾張の国中には、大名神8座、小123座あって、当時の大名神8座の内の1座である。
例祭日 10月10日
御神徳 産業開発・五穀豊穣・無病息災・方除け・縁結び
境内外摂末社 六所社・三島社・白山社・神明社・招魂社・素盞嗚社
境内地坪数 5.184㎡
主な祭典 新年祭・田打祭・祈年祭・新嘗祭・湯ノ花祭・年越祭
構築物 神馬(9尺)
神宝刀剣3振(市博物館に保管)
手水舎。

横に御神木楠。

祓所。

境内は二手に。

正面に神馬。

右手に社務所。
一の宮なのに誰もいない…

奥に招魂社。

招魂社から本殿を見る。

二又に戻って社殿へ。

木造狛犬は無かった。

不安だったが、ちゃんと「一の宮」と書いてありました。

社殿東側に末社2社。

西側にも2社。

末社、六所社・三島社・白山社・神明社ですが、どれがどれかは見えないので解からない。
社殿から藩屏を見る。

境内の西側。

燈籠が建ち並ぶ。

社殿の裏には土塁?

境内の東に隣接して神宮寺だった薬師寺がある。

木造薬師如来坐像と木像地蔵菩薩立像が一宮市指定文化財。

境内は狭い。
大神神社は、戦国時代の浅井田宮丸の乱で社殿を焼失して以降荒廃し、神宮寺である薬師寺の境内に遷座していたそうです。
明治3年(1870)、薬師寺に隣接する現在地に再建された。

元々は何処に在ったかというと、境内を西に行った、

古宮公園にあったそうです。

公園の面積は2,556㎡。
現境内頼狭いので公園一帯に境内があったのでしょう。

境内からまた元来た道を戻る。

大通りを越えてさらに進み、

一つ目の交差点を右折してしばらく行くと境外末社の素盞嗚社があります。

最後に御朱印。

一の宮にしてはちょっと寂しい感じの尾張国一の宮大神神社でした。
(おまけ)
社務所に人がいなかったように、御朱印はここでは貰えません。
宮司さんのお宅は社殿に書いてあります。

宮司さんは大神社の神主で何社かかけもちされているようなので、事前に電話予約しておく方が良いでしょう!
大神社の最寄駅は名鉄名古屋本線島氏永駅。
妙興寺駅の一つ名古屋寄りの駅です。
駅から西へ約3分歩くと大神社があります。

【大神社由緒略記】
鎮座地 愛知県一宮市大和町於保字郷中2311番地
祭神 神八井耳命(神武天皇第二皇子)
祭日 10月20日 境内社 大明神社(天児屋根命)・神明社(天照皇大神)
境外社 天神社(菅原道真公)・神明社(豊受大神)・八幡社(応神天皇)・神明社(天照皇大神)
御由緒
延喜式神名帳に大神社名神大とあり、そこで尾張の国の式内社121座ありその内名神大社は8座あり。
8座は、大神社・真清田神社(尾張国一の宮)・大縣神社(尾張国二の宮)・大神神社(尾張国一の宮)・熱田神社・日割御子神社・孫若御子神社・高蔵結御子神社であり、前期8社が官幣社(神祇官の祭る社、即ち官幣社)国幣社(国司が祭る社、即ち国幣社)があり、113座あり由緒ある神社である。
祭神は神武天皇の第二皇子にして神武天皇の崩御後、兄手研耳命が神八井耳命を害せんと図りしかば第2代綏靖天皇その陰謀を知食し、神八井耳命と共に謀り、これを平定(国内安定)。 神八井耳命曰く、『兄なれども君上とあるべからず汝よろしく皇位につき天下を知食すべし』、国内平定の神であることが伺える。
天慶元年2月正五位より全国的神々に対して九度の昇進あり。
大神社は最後の年、永徳元年2月に従一位になり給ふ。
(パンフレットより抜粋)
参道を進む。
大神神社に勝るとも劣らない由緒ある神社のようだ。

礎の碑。

藩屏。

手水舎。

渡り殿。

渡り殿から拝殿を見る。

拝殿の奥に本殿。

社務所には誰もいなかった。

宮司さん宅へ。

最後に大神社御朱印。

付近には寺がたくさんありました。
また、「二之宮」という字名も。

歴史を感じさせる大神社でした。
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