場所 千葉県南房総市府中
安房国の国府は南房総市にあったと云う。
安房国分尼寺跡から宇土川(滝川)を渡って北へ進みます。
ここから南房総市。 府中集落に元八幡神社。 境内にある説明板。 【元八幡神社の由来】
奈良時代の養老2年(718)5月1日初めて安房の国が建置されたが、その国司の政庁である国府がこの府中の地に置かれた。
そして、府内守護の総社として当社が平群郡東国府村に創祀されたのである。
後鎌倉時代の建久2年(1192)源頼朝が鎌倉に幕府を開き源氏の氏神である八幡大神を特に崇敬し、府中八幡と称するに至った。
この府中八幡が更に遷座して鶴ヶ谷八幡神社となり、国司祭を継承するに至ったのは、鎌倉時代のこととされている。
側の井戸から汲みあげた水は神供水として9月14日の例祭に用いられた。
昭和59年9月吉日
参道入り口。
参道を進む。
かつては総門が建っていました。 塔頭が建ち並んでいたそうです。
境内が見えてきました。
境内南側絵図。
説明板。
説明板裏に黒門池。
反対側。
朱雀門(中門)跡から境内を見る。
正面に大きな仁王門が建っていました。 石列。
仁王門の跡だろうか? 鐘楼跡。 観音堂。
関東大震災で倒壊した仁王門の2階部分を利用して建てられた。 安房国札23番札所観音霊場で、塔頭西光院の本尊だった木造十一面観音菩薩像を祀る。 波の伊八作の龍の彫刻。 脇に清瀧権現堂。 境内北側絵図。
仁王門跡から境内を見る。
庫裏の場所が現本堂。
真言宗智山派だそうです。
現本堂。
本堂の中に境内絵図があります。
本堂前に閼伽井。
現本堂西側に本堂跡。
礎石が残る。
方丈庭園跡。
最後に御朱印。
安房国府跡を示すものは無かった。
境内を出る。
塔頭が建ち並んでいた参道を戻る。
再び参道入り口。
東側の元八幡神社。
安房国分寺方面を見る。
元八幡神社が遷座した鶴谷八幡神社へ向かいます。
「府中」の西隣は「正木」
里見氏の重臣正木氏の本貫地。 平久里川の対岸に六所神社があったのですが行きそびれました。 再び館山市へ。
JR館山駅から北へ約1kmの所に遷座した鶴谷八幡宮。 社標に安房国総社と書かれています。
鎌倉時代に源氏の影響で八幡神社になったそうです。 境内案内図。
参道を進む。
左手に①小野鵞堂記念碑、②征清記念之碑、③日露戦争記念碑が建ち並ぶ。
小野鵞堂は大正時代を代表する書家。 二の鳥居。 右手に⑦安房先賢偉人顕彰之碑。
昭和10年頃に安房国の賢人16名を顕彰したもの。 左手に⑥水田三喜男銅像。
元大蔵大臣。
足元に説明があります。 ⑮狛犬。 ⑯手水舎。 ⑩鶴谷神殿重修記念歌碑。 ご神木の裏。 八幡神社創立一千年式年大祭記念碑。 八幡神社の文化財。
鶴谷八幡宮の筒粥神事説明板。
社務所。
誰もいなかった。 隣りに古神符神札納所殿。 本殿北側に若宮八幡社。 由緒書。
読み難い。
若宮八幡社の奥に弓道場。
社叢。
一番東側に㉓千灯院。
宝珠院の末で、鶴谷八幡宮の社僧が住した寺。 戻る。 ⑳鶴谷八幡宮社殿。
拝殿の向拝天井には彫刻「百態の竜」がはめ込まれている。 拝殿と本殿。 社殿南側に⑲御仮屋。
毎年9月14・15日に行われる国司祭(通称やわんたまち(八幡祭))際、右から子安、高皇産霊(たかみむすび)、木幡、莫越山、山萩、山宮、手力雄、下立松原、洲宮の各社から神輿がここに集まる。 境内南側に安房神社遥拝殿。 境内南側入り口。 境内西側。 拝殿の天井を見忘れたのは残念。 社務所が閉まっていたので宮司宅に行ってみたが留守で御朱印貰えなかったのも残念。 鶴谷八幡宮を後にしました。 まだ遺構は見つかっていないが、確かにこの辺りにあったと感じられる安房国府跡でした。
ここから南房総市。 府中集落に元八幡神社。 境内にある説明板。 【元八幡神社の由来】
奈良時代の養老2年(718)5月1日初めて安房の国が建置されたが、その国司の政庁である国府がこの府中の地に置かれた。
そして、府内守護の総社として当社が平群郡東国府村に創祀されたのである。
後鎌倉時代の建久2年(1192)源頼朝が鎌倉に幕府を開き源氏の氏神である八幡大神を特に崇敬し、府中八幡と称するに至った。
この府中八幡が更に遷座して鶴ヶ谷八幡神社となり、国司祭を継承するに至ったのは、鎌倉時代のこととされている。
側の井戸から汲みあげた水は神供水として9月14日の例祭に用いられた。
昭和59年9月吉日
遷座してしまった社殿。 側の井戸。 安房国府跡に建つと言う宝珠院へ向かいます。 境内図。
かつては総門が建っていました。 塔頭が建ち並んでいたそうです。
正面に大きな仁王門が建っていました。 石列。
仁王門の跡だろうか? 鐘楼跡。 観音堂。
関東大震災で倒壊した仁王門の2階部分を利用して建てられた。 安房国札23番札所観音霊場で、塔頭西光院の本尊だった木造十一面観音菩薩像を祀る。 波の伊八作の龍の彫刻。 脇に清瀧権現堂。 境内北側絵図。
「府中」の西隣は「正木」
里見氏の重臣正木氏の本貫地。 平久里川の対岸に六所神社があったのですが行きそびれました。 再び館山市へ。
JR館山駅から北へ約1kmの所に遷座した鶴谷八幡宮。 社標に安房国総社と書かれています。
鎌倉時代に源氏の影響で八幡神社になったそうです。 境内案内図。
左手に①小野鵞堂記念碑、②征清記念之碑、③日露戦争記念碑が建ち並ぶ。
小野鵞堂は大正時代を代表する書家。 二の鳥居。 右手に⑦安房先賢偉人顕彰之碑。
昭和10年頃に安房国の賢人16名を顕彰したもの。 左手に⑥水田三喜男銅像。
元大蔵大臣。
足元に説明があります。 ⑮狛犬。 ⑯手水舎。 ⑩鶴谷神殿重修記念歌碑。 ご神木の裏。 八幡神社創立一千年式年大祭記念碑。 八幡神社の文化財。
誰もいなかった。 隣りに古神符神札納所殿。 本殿北側に若宮八幡社。 由緒書。
読み難い。
宝珠院の末で、鶴谷八幡宮の社僧が住した寺。 戻る。 ⑳鶴谷八幡宮社殿。
拝殿の向拝天井には彫刻「百態の竜」がはめ込まれている。 拝殿と本殿。 社殿南側に⑲御仮屋。
毎年9月14・15日に行われる国司祭(通称やわんたまち(八幡祭))際、右から子安、高皇産霊(たかみむすび)、木幡、莫越山、山萩、山宮、手力雄、下立松原、洲宮の各社から神輿がここに集まる。 境内南側に安房神社遥拝殿。 境内南側入り口。 境内西側。 拝殿の天井を見忘れたのは残念。 社務所が閉まっていたので宮司宅に行ってみたが留守で御朱印貰えなかったのも残念。 鶴谷八幡宮を後にしました。 まだ遺構は見つかっていないが、確かにこの辺りにあったと感じられる安房国府跡でした。