登城日 1回目 2000年11月 晴
2回目 2009年12月26日(土)晴
難易度 ☆
場所 兵庫県伊丹市伊丹2丁目
JR伊丹駅のあるところは、戦国時代に有岡城があったところです。
【有岡城の概要】
有岡城跡は、猪名川の西岸,伊丹段丘東縁部の一角に位置します。
もとは伊丹氏が南北朝時代から戦国時代にかけて伊丹城を築いていたところです。
天正2年(1574)11月、織田信長の部将荒木村重は、伊丹氏にかわって伊丹城に入城しました。
そして城の名を有岡城と改めて、大改造をおこないました。
本城だけでなく、侍町と町屋地区をも堀と土塁で囲んだ惣構の城としての価値を認められ、昭和54年12月に国の史跡に指定されました(昭和63年5月追加指定)。
(伊丹市HPより)
本丸跡にあるJR伊丹駅。
福知山線のために主郭の東側は削られてしまった。
お詫びなのか何なのか、駅舎は微かに城っぽいデザイン。

駅前に主郭跡の西側部分が僅かに残存する。

有岡城跡の碑。
元は伊丹城といったが、荒木村重が有岡城と改名。
日本最古(1520年)の天守台を持つ平城だった。
その有岡城は、ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスが「甚だ壮大にして見事なる城」と書き残すほどの名城でした。
この城が有名になったのは、天正6年(1578)7月に城主荒木村重が突然織田信長に反旗を翻し籠城したことです。(有岡城の戦い)
この戦いは約1年続き、説得に行った黒田官兵衛は閉じ込められ、その時の影響で足が不自由になってしまったという。

ここを登るとフランドルの鐘と土塁がある。

西側には堀跡が僅かに残る。

北側にも主郭跡が残る。

入り口の虎口にも有岡城跡碑が建つ。

上部の様子。

礎石建物跡。

井戸跡。

土塁跡。

石垣。

近づくと転用石が見られた。

懐古園の碑。

説明板。
東側も守って欲しかった。

この前にも井戸跡。

荒木村重の歌。

有岡城跡の説明板。
どっち向いているんだ。
読みにくいです。
国指定史跡だということは解りました。

西側に空堀跡が残る。

フランドルの鐘の下へ戻り、説明板を読む。
図を拡大。
惣構えだった。
城跡はこれだけだろうと思い、前回は帰ってしまった。
残っているかもと思い、ちょっと南へ行ってみる。

南にある高台。
櫓台にも見える。

荒村寺。

説明板。

荒村寺の東側はJRの線路のため削られている。
しかし、かなりの高低差があったことは解る。

ちょっと惣構えを見てみようかな~と南へ行ってみたら、先程の図の通りに崖があった。

(つづく)