登城日 2013年 3月23日(土)晴
難易度 ☆☆
場所 三重県鈴鹿市山本
椿大神社近くの城です。
椿大神社にある山本町案内図。
西岸寺の隣りに山本城がある!
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行ってみる。
最寄りのバス停は椿神社口。

バス停の先に見える山が山本城。

山の東端は道路造成で削られたような感じ。
道路の反対側も城跡だったのかな?

道を進むと説明板があります。

【山本城跡】
戦国時代(16世紀)、この丘陵地には山本氏の居城山本城があった。
しかし、16世紀の末、城は織田方と秀吉方の戦乱の中で焼失した。
今も土塁、石垣、井戸の跡が残る。
なお、山本氏は四日市鵜の森の浜田城主の系累といわれている。
平成16年3月
山本町郷土史研究会
山本城南麓にある西岸寺。

宗派は浄土真宗高田派。
山号は本登山。

本堂。

本堂裏手に登城道。

石垣かな?

西岸寺を見下ろす。
登城道の脇にこの辺りから出土した五輪塔を含む7基の墓石がある。

山の中は不気味な竹藪。
堀切。

堀切。

錆びた城址碑。

土塁に囲まれた主郭。

土塁の残存状態は良い。

土塁上から撮る。

西端から撮る。

北側から主郭を撮る。

主郭の北側一段下に帯郭があり、井戸が残る。

主郭東側の堀切。

主郭の東側にも郭があるが、竹藪は歩きにくくここで断念。

山本城を後にしました。

小さいながらも見ごたえある山本城でした。
(おまけ)
山本城の北側の集落の中に濱田殿の墓があります。
説明板。

【濱田殿の墓】
戦国時代(16世紀中頃)、四日市の浜田城が落城したとき、城主の濱田殿は山本に逃れててきて、この地で生涯をとじたと伝えられている。
山本城主山本氏は濱田殿の系累といわれている。
平成16年3月
山本町郷土史研究会
濱田殿の墓。

町内の南に織田有信の墓もあります。
説明板。

【織田有信の墓】
織田信長の子信孝が岐阜の戦いに敗れたとき、愛妾と一子盛信はこの山本に落ちのびたとされる。
これは盛信の子、つまり信長の曾孫にあたる有信の墓である。
(約10m東)
平成16年3月
山本町郷土史研究会
織田有信の墓。

山本城から少し北へ行った大久保集落の中にある法雲寺は大久保城跡で、城主は織田信孝に属し岐阜で討死し廃城となったそうです。