月輪館(武蔵国) | 三日月の館

三日月の館

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登城日 2011年 4月30日(土)晴時々曇
難易度 ☆
場所   埼玉県比企郡滑川町月輪字大堀

 

九条兼実の館だったと云う居館です。

 

【月輪館(大堀)の概要】

松山台地西側の北端にあり、市の川から南西に延びる溺れ谷に面している所に位置している。

館は室町時代に月輪に所在していた月輪兼実の館であったと伝えるが、定かでない。

土地では「百間堀」として伝承されているが、実際には東西150m。

南北250mの規模を有していたという。

この堀の遺構は戦前まで存在していたが、太平洋戦争中に航空基地として飛行場が造成され破壊されてしまった。

堀は夏から秋にかけて湛水し水堀の景観を現わすこともあったという。(日本城郭大系5より)

 

「月の輪」とググらなくても知っていた。
とうとう行くか、月輪館へ。

 

ということで、東武東上線に乗ってつきのわ駅へやって来ました。
森林公園駅の一つ向こうで、電車の本数が少ないです。

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真新しい駅。

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駅周辺の地図。

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駅周辺は東武鉄道が「フランサつきのわ」として大規模宅地分譲をしている。

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分譲地内にある月の輪小学校。

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駅の北側にある中丸集会所。
「中丸」なので、城の中心かと一瞬思ってしまうが違う。

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昭和23年(1948)の航空写真。
月輪館は駅の東にあったそうです。

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東へ歩いて行く。
途中にあった大堀西窯跡。

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説明板。

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月の輪南集会所。

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この集会所の裏の森付近が月輪館跡と云う。

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森を貫通する道が3本くらいありました。
バス停付近の一番東側の道を覗いてみる。

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土塁かな?
気のせいだろう。

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一番西側の道を進む。
振り返って住宅地を見る。
開発がどんどん進んでいます。

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路から少し藪に入って行くと窪地があり、堀跡らしい。

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写真では解からないが、深い所は1m近くあった。

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堀の北西隅にある壊れてしまった祠。

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ここから堀跡は森の中を東へ延びているような無いような。
藪が深くて行く気になれなかった。

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何だか良く解らない藪の中をウロウロしているうちに…

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森の南側へ出てしまった。

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東へ舗装された道を進むと正面にフジミ工研滑川工場の入口がある。

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今来た道を振り返る。
ここが目印かな。

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今度は北へ進む。

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左側の住宅地は「月の輪」

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右側は「月輪」

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関越自動車道を潜る。

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東武東上線の線路を渡った向こうにこんもりした森が見えた。
行ってみる。

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森は月輪神社の森だった。

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鳥居を潜る。

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参道を振り返る。

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月輪神社。

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拝殿。

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拝殿の奥に本殿。

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扁額。

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御由緒。
大宮氷川神社の分社で、月輪兼実を合祀しているという。

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境内東に建つ月輪中央集会所の脇から北へ出る。

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月輪神社から道路を挟んで北側に寺がある。

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寺の名前は天台宗月光山福正寺。

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山門を入ると勢至堂が目につく。

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説明板。
本尊勢至菩薩は九条兼実が常に尊崇礼拝していたと云う。

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ここも駒うさぎ。
左側。

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右側。

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扁額。

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勢至堂内部の天女の絵。

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藤原梅秀筆という。

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勢至堂から境内を見る。

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勢至堂の奥にある建物が本堂のようだ。

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結局、何故ここに九条兼実がいたことになっているのか解らなかったが、開発の波に飲み込まれつつある月輪館でした。