135 増山城 その1(越中国) | 三日月の館

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登城日 2012年 5月 5日(土)晴
難易度 ☆☆☆
場所   富山県砺波市増山字一の丸3324外

 

越中三大山城の一つです。

 

高岡からJR城端線に乗り換え、砺波駅下車。

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駅から10㎞近く離れているのに交通手段が無い。
よって、7:40発加越能バス砺波総合運動公園線に乗って東開発下車。
バスは日に2~4本。

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このバス停から歩きました。
庄川を渡る。
遠くに増山城が見えてきました。

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権正寺のバス停発見!
富山空港からだと少し近くまで来れる。

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高い土塁のような台地へ登る。

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芹谷野用水が流れる増山集落。

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増山バス停発見!

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庄東センターから乗り継いで来れるようだが…

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増山神社。

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台地の向こうに増山城と城下町跡が見えてきました。

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台地を下りて行く。

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土塁が残る。

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土塁に近づいてみる。

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説明板。

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国指定史跡
【増山城跡】
(増山城下町土塁跡)
指定年月日 平成21年7月23日
所在地   砺波市増山376

この土塁は、室町時代に婦負・射水の守護代神保氏累代の居城として栄えた増山城の登り口を防御するために築かれたものである。
和田川をはさみ、増山城の対岸にあたる段丘の東端に位置し、その西側に空堀を備えていた。
従来、自然地形とされていたが、試掘調査により、人為的な盛土であること、さらに現存土塁の北側へも延びていたことが確認された。
長さ80m、最大幅約10mで、堀との比高差2m、また堀は土塁の西側に沿って、幅約10m、地表面との比高差2m、現在堀は盛土により、現状のまま埋められて水田となっている。
この段丘は、昭和52年に実施された試掘調査により、段丘全体に、旧石器時代、縄文時代、奈良・平安時代、近世初頭までの遺物が埋蔵していることが確認され、増山遺跡と命名された。

平成21年7月23日
砺波市教育委員会

 

土塁の高さは2m。

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城下町を上から見る。

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城下町(寺土居町)は水田となっている。

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和田川に架かる増山大橋を渡って、いざ、増山城へ!

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和田川に出来たダムによって、城下町(下町)が水没している。

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七曲り口。

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説明板。

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国指定史跡
【増山城跡】
指定  平成21年7月23日
所在地 砺波市増山字一の丸3324外

増山城は、砺波平野東部の和田川右岸にあり、射水郡、婦負郡、砺波郡の三郡の郡界に位置する。
「一の丸」、「二の丸」、「三の丸」、「安室屋敷」、「池ノ平等」などの地名を今に残す曲輪や、規格的に配された巨大な空堀・竪堀群は、魚津市の松倉城、高岡市の守山城と並び越中三大山城のひとつと称されるにふさわしい。
北の亀山城、孫次山砦を含む増山城郭群の中心をなす城である。
南北朝時代に「和田城」として現れるが、室町時代には越中守護代神保氏の主要な居城となった。
戦国時代には一時、越後上杉氏に攻略されるが、上杉謙信(長尾景虎)は「増山之事、元来嶮難之地、人衆以相当、如何二も手堅相抱候間」とその堅牢ぶりを称えている。
天正9年(1581)、織田勢の攻撃を受け焼き払われた。
その後、織田氏のもと越中を平定した佐々成政の西部拠点として大規模な整備、修築が図られた。
角櫓を要所に配した郭や、二重の空堀など主要な施設はこの時期に整備されたと考えられる。
こうした城構えもやがては豊臣方の軍門に降り、天正13年(1585)以降、前田氏の支配下で重臣中川光重(巨海斎宗半)が城主となり、妻䔥とともに城を守った。
元和の一国一城令が施行された17世紀初めころ廃城になったと推測される。

平成21年7月23日
富山県教育委員会

 

案内板。

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/1/a/1aad1aaa.jpg

七曲りはかなり整備された登城道でした。

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一の丸切岸。

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正門跡。

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一ノ丸へ登る。
正門跡を見下ろす。

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一ノ丸。
本来「一ノ丸」とは本丸を指すが、構造的に本丸とは考えがたい。

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城下町を見下ろす。

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望遠で見る。

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二ノ丸へ向かう。

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二ノ丸側から一ノ丸(正面)とヘットリ(左側)を見る。

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二の丸虎口。

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二ノ丸へ行く前に、南側の無常と鐘搗堂へ行ってみる。

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無常。
中心部の南西部を守る郭。
西側斜面に畝状竪堀群が見つかっている。

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鐘搗堂。
無常とは地続きだったものを掘によって分断し、造成した郭。
時刻を報じる時鐘台であったかは不明。

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時鐘台の南に堀を挟んで、

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南櫓台がある。

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二ノ丸へ戻る。

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二ノ丸から見た一ノ丸。
二ノ丸の方が高い。

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二ノ丸へ。

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二ノ丸虎口脇の櫓台。

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二ノ丸。
増山城の主郭。

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さらに奥へ進みます。
つづく