JR群馬総社駅から上野国分寺跡へ向かう途中に、山王廃寺跡があります。
廃寺跡に鎮座する日枝神社

所在地 群馬県前橋市惣社町総社2408
主祭神 大山咋命
創建 不明

かつて、ここに昌楽寺と云う天台宗の寺院があり、守護神として近江国の日吉神社から勧請されて創建されたと云う。
そして、この地にはそれ以前に大伽藍の寺院が建っていたと云う。

寺院は7世紀後半に建てられたと云うが、今は、神社の周囲が畑となり大伽藍は残っていない。
放光寺という名だったと云う説があるそうです。

碑と説明板が建つのみ。

しかし、境内には大伽藍の痕跡を示すものが残っています。

境内の東側に山王塔跡。

覗いてみる。

説明板。

天正10年塔心礎が発見され、ここが古い時期の寺院跡であることがわかり、地名にちなんで「山王廃寺跡」と名づけられた。
塔の心礎は一辺14mの方形基壇の中央を掘り凹めた中に置かれ、東西3m、南北2.5m、 厚さ1.5mという巨石を加工したものである。
心礎のほぼ中央には、径65㎝、深さ18㎝の孔(柱受けか)と、さらに その中央に径27㎝、深さ30㎝の舎利孔との二段の 孔がうかたれている。
孔の周囲には径108㎝の環状の溝があり、 そこから放射状の溝が東西南北の方向をさして刻まれている。
塔の心柱の太さは環状の溝内縁に合致するものであろうか。
寺院建立時期は、出土瓦などから7世紀末の白鳳期の頃と考えられる。
こんな感じで柱が建っていたそうです。
西側には、塔心柱根巻石と石製鴟尾が保存されている。
塔心柱根巻石。
説明板。
柱が邪魔して読み難かったです。

塔心柱根巻石。



【国指定重要文化財 上野国山王廃寺塔心柱根巻石一具】
指定年月日 昭和28年11月14日
根巻石は、唐風建築の基部に巻きつけ装飾としたもので、我国では大変めずらしいものです。
この根巻石は現在地から約100m東の地点で 井戸枠に使用されていたもので、出土位置は不明です。
7葉の蓮弁は輝石安山岩製で、径96.5㎝の穴を有します。
石材の加工技術は当時(7世紀後半)では高度なもので、宝塔山古墳(前橋市)、蛇穴山古墳(前橋市)の石室の加工技術との関連性が考えられています。
指定年月日 昭和28年11月14日
根巻石は、唐風建築の基部に巻きつけ装飾としたもので、我国では大変めずらしいものです。
この根巻石は現在地から約100m東の地点で 井戸枠に使用されていたもので、出土位置は不明です。
7葉の蓮弁は輝石安山岩製で、径96.5㎝の穴を有します。
石材の加工技術は当時(7世紀後半)では高度なもので、宝塔山古墳(前橋市)、蛇穴山古墳(前橋市)の石室の加工技術との関連性が考えられています。
そして、鴟尾。
もう一つが付近の民家に保存されているそうです。

【国認定旧重要美術品 石製鴟尾】
指定年月日 昭和28年11月14日
鴟尾は、中国伝来の架空の動物で、火にあうと水を吹き、雨を降らすとの伝説から、防火上のまじないとして、屋根の大棟(おおむね)の両側につけられるようになりました。
鯱は、中世以降鴟尾から変化したもの。
有名な奈良県の唐招提寺金堂のものは陶製で、石製のものは少なく、山王廃寺のものと、鳥取県伯耆大寺廃寺のものしかありません。
この鴟尾は角閃石安山岩製で高さ1m、重さ1tもあり、この鴟尾を大棟の両側に据えた、山王廃寺の建物の壮大さが想像されます。
細い路地に面した小さな神社ですので、思わず見逃しそうになります。
詳しいことは、総社資料館に行くと良く解ります。
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