場所 兵庫県姫路市本町68番地
播磨十水 |
姫路城内にあるもう一つの清水です。
姫路城内で小野江清水とは反対側の清水門にあります。
近年復元された鷺の清水。
この湧水があることから清水門と命名された。
説明板。
【鷺の清水】
この石組井戸は、古くから名水として知られた「鷺の清水」の遺構である。
宝暦12年(1762)の地誌『播磨鑑』によれば、「鷺の清水」は、赤松義村(1521没)の時代から、播磨十水の一つに数えられており、風味がよく茶の湯にも利用されていたという。
ただこの場所は清水門の外門の内側に位置しており、一般の人は水が汲めないので、船場川に流れ落ちる湧水で茶をたてたといわれている。
井戸の規模は、東西2.8m、南北6m、深さ2.5mで、さらに井戸底面の中央に直接1.3m、深さ2.4mの木枠の井戸が設けられている。
この遺構は、由来・形状に特徴があり、往時の姿が概ね復元できたことから、姫路城跡でも最も重要な遺構の一つである。
この石組井戸は、古くから名水として知られた「鷺の清水」の遺構である。
宝暦12年(1762)の地誌『播磨鑑』によれば、「鷺の清水」は、赤松義村(1521没)の時代から、播磨十水の一つに数えられており、風味がよく茶の湯にも利用されていたという。
ただこの場所は清水門の外門の内側に位置しており、一般の人は水が汲めないので、船場川に流れ落ちる湧水で茶をたてたといわれている。
井戸の規模は、東西2.8m、南北6m、深さ2.5mで、さらに井戸底面の中央に直接1.3m、深さ2.4mの木枠の井戸が設けられている。
この遺構は、由来・形状に特徴があり、往時の姿が概ね復元できたことから、姫路城跡でも最も重要な遺構の一つである。
井戸復元図。
覗いてみる。
江戸時代のある時、藩主が江戸城で鷺の清水でお茶をたてたらおいしいと自慢したところ、それなら京の名水「柳の水」と比べてみようということになったが、何れも区別なく味がよかったという言い伝えが残っている。
赤松義村の時代には今のような姫路城は無かったのですが、姫山周辺で播磨十水が2つ選定されるとは、余程水の豊かな場所だったんですね。
(しかし、この鷺の清水も加えると11ヶ所になってしますのですが…)