96 金沢城 その6(石川県) | 三日月の館

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百間堀を通って金沢城の東側へ。

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兼六園下交差点の南側。
兼六駐車場付近が東内惣構の始点。

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小将町中学校の校門付近で北へ直角に曲がる。

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往時の石垣かな。

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兼六元町の交差点に東内惣構堀の碑が建つ。
道路幅までがかつての堀跡とのこと。

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道路を横断。

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家々の間を進む。

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左側が金沢城側。
味噌蔵町小学校前付近は高低差がある。

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往時は玉石垣だったのかな。

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味噌蔵町交差点に到達。

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ここに九人橋詰遺構説明板。
東内惣構は旧小尻谷町(東兼六町)から浅野川まで約1.3㎞と書いてありました。

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道路を渡る。
堀跡は左側の細い道。

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堀跡の細い道を進む。

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賀洲刀工「兼巻」中村家跡地を通過。

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千仙叟宗室居士邸地跡を通過。

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寺島蔵人邸跡を通過。

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説明板。

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小道に挟まれた細長い区画が堀跡だろう。

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先へ進む。

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山崎法律事務所の所で直角に曲がる。

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往時の石垣かな。

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大通りに一旦出るも、

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すぐに西側に逸れる。

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ここも往時の石垣かな。

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家の床下を通って、

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枯木橋へ。

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説明板。
内惣構堀は僅か27日間で掘られたと云う。

枯木橋南側。
左側の建物は旧石川銀行橋場支店で国の登録有形文化財。

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枯木橋北側。

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遺構が一部復元されています。

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説明板。

右側の石列から、18世紀、19世紀前半、そして明治以降。

徐々に堀が狭まっている様子を表しています。

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その先、新橋から見た堀跡。

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浅野川倶楽部の下を抜けて、

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浅野川。
終点です。

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浅野川大橋。

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橋の南側が東外惣構の始点。

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家々の間を進む。

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小鳥屋橋から見た堀跡。

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枯木橋の東側辺りは家が建て込んでいて見づらい。

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金城楼の折鶴の松。
東外惣構はこの邸宅の東側。

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この西側は東内惣構。
この辺りはかなり接近しています。

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東外惣構に戻る。
人見橋から北を見る。

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南を見る。

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ちょっと寄り道。
土蔵造りの善福寺。

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ちょっと洒落た家。

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小鳥が描かれたガラス窓が目についた。

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戻って大手町交差点の東側に位置する下土橋。
東外惣構堀の碑が建つ。

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中土橋から北を見る。

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上土橋から南を見る。
この辺りは細い水路が続く。

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敬愛病院の敷地を抜ける。

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国道159号線(賢坂辻)から見た堀跡。
峡谷のような高低差。

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常福寺の東側を進む。

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境内をなぞるように進み、賢坂橋の所で水路とお別れ。

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ここから東外惣構は向きを変え西へ駆け登る。
左側の石垣は往時のものらしい。

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登った所にある小さな公園。

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ここにも説明板があります。

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ギンモクセイの大木。
残存土居でしょうか。

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堀跡の水路。

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金沢大学附属特別支援学校の南側で住宅地に突入。

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八坂の北側を一気に駆け登る。
竪堀だったのかな。

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台地を登った所。
右側が兼六園。

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兼六園内の山崎山。
東外惣構の土居跡。

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ここが東外惣構の終点(起点)。

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その先は、辰巳用水と繋がって、

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本多の森から、

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西外惣構へ。

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ぐるぐる。

 

(おまけ)

 

山崎山の啄木鳥。
頑張ってるなー!

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兼六園菊桜。

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国の天然記念物だったが、原木は昭和45年(1570)に枯死。
尾山神社で見た時よりもだいぶ白くなっていた。

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1週間後だったので。