(もどる)
百間堀を通って金沢城の東側へ。

兼六園下交差点の南側。
兼六駐車場付近が東内惣構の始点。

小将町中学校の校門付近で北へ直角に曲がる。

往時の石垣かな。

兼六元町の交差点に東内惣構堀の碑が建つ。
道路幅までがかつての堀跡とのこと。

道路を横断。

家々の間を進む。

左側が金沢城側。
味噌蔵町小学校前付近は高低差がある。

往時は玉石垣だったのかな。

味噌蔵町交差点に到達。

ここに九人橋詰遺構説明板。
東内惣構は旧小尻谷町(東兼六町)から浅野川まで約1.3㎞と書いてありました。

道路を渡る。
堀跡は左側の細い道。

堀跡の細い道を進む。

賀洲刀工「兼巻」中村家跡地を通過。

千仙叟宗室居士邸地跡を通過。

寺島蔵人邸跡を通過。

説明板。

小道に挟まれた細長い区画が堀跡だろう。

先へ進む。

山崎法律事務所の所で直角に曲がる。

往時の石垣かな。

大通りに一旦出るも、

すぐに西側に逸れる。

ここも往時の石垣かな。

家の床下を通って、

枯木橋へ。

説明板。
内惣構堀は僅か27日間で掘られたと云う。
枯木橋南側。
左側の建物は旧石川銀行橋場支店で国の登録有形文化財。

枯木橋北側。

遺構が一部復元されています。

説明板。
右側の石列から、18世紀、19世紀前半、そして明治以降。
徐々に堀が狭まっている様子を表しています。

その先、新橋から見た堀跡。

浅野川倶楽部の下を抜けて、

浅野川。
終点です。

浅野川大橋。

橋の南側が東外惣構の始点。

家々の間を進む。

小鳥屋橋から見た堀跡。

枯木橋の東側辺りは家が建て込んでいて見づらい。

金城楼の折鶴の松。
東外惣構はこの邸宅の東側。

この西側は東内惣構。
この辺りはかなり接近しています。

東外惣構に戻る。
人見橋から北を見る。

南を見る。

ちょっと寄り道。
土蔵造りの善福寺。

ちょっと洒落た家。

小鳥が描かれたガラス窓が目についた。

戻って大手町交差点の東側に位置する下土橋。
東外惣構堀の碑が建つ。

中土橋から北を見る。

上土橋から南を見る。
この辺りは細い水路が続く。

敬愛病院の敷地を抜ける。

国道159号線(賢坂辻)から見た堀跡。
峡谷のような高低差。

常福寺の東側を進む。

境内をなぞるように進み、賢坂橋の所で水路とお別れ。

ここから東外惣構は向きを変え西へ駆け登る。
左側の石垣は往時のものらしい。

登った所にある小さな公園。

ここにも説明板があります。

ギンモクセイの大木。
残存土居でしょうか。

堀跡の水路。

金沢大学附属特別支援学校の南側で住宅地に突入。

八坂の北側を一気に駆け登る。
竪堀だったのかな。

台地を登った所。
右側が兼六園。

兼六園内の山崎山。
東外惣構の土居跡。

ここが東外惣構の終点(起点)。

その先は、辰巳用水と繋がって、

本多の森から、

西外惣構へ。

ぐるぐる。
(おまけ)
山崎山の啄木鳥。
頑張ってるなー!

兼六園菊桜。

国の天然記念物だったが、原木は昭和45年(1570)に枯死。
尾山神社で見た時よりもだいぶ白くなっていた。

1週間後だったので。