(もどる)
小谷山頂上(495m)にある大嶽城から小谷城へ向かって下りて行く。
所々で誰が書いたのか、映画の解説がぶら下がっていました。
清水谷、月所丸への十字路に到達。
④月所丸へ向かう。
細い山道なので要注意!
月所丸入り口北側には近江では数ヵ所しかない畝状の堀があるというのですが…
埋まってて解らなかった。
説明板。
細長い曲輪の所々に土塁が見られた。
その先の三重堀切。
十字路へ戻って、小谷城へ向かう。
まず、⑤六坊跡。
説明板。
浅井氏領国内にあった6つの有力寺院の出張所だった所。
南側には石垣が見られた。
ここから少し登る。
途中で大嶽城を見上げる。
⑥山王丸。
石垣のある土塁(一文字土塁)で曲輪が仕切られている。
ここにもこんな立派な石垣があったんだ~と感動。
中央の曲輪には山王社を祀っていたと云う。
往時の様子。
数段の曲輪の所々に石垣が残存。
南側の虎口付近の石垣。
見逃せないのが、山王丸東側の大石垣。
往時はこのような高石垣がぐるーっと廻っていたのだろう。
小丸へ下りて行く。
⑦小丸。
隠居後の浅井久政の居所で、久政はここで自刃した。
小丸のすぐ下が⑧京極丸。
浅井氏が、守護京極氏の居所として用意した曲輪と云う。
東側に造られた高さ約3mの土塁は小谷城最大規模を誇る。
往時の様子。
西側には枡形虎口があり、中丸へと繋がっていた。
小丸虎口付近に残る石垣跡。
中丸へ。
京極丸への道の脇に刀洗池があった。
⑨中丸は南北3段に分れていた。
下の曲輪を見下ろす。
下の曲輪から振り返ると虎口付近に石垣が残存。
かつての様子。
中丸南の虎口。
出ると、本丸との間に大堀切がある。
登ると⑩本丸。
古絵図では「鐘丸」「天守」とも記され、櫓または鐘楼があったと考えられる。
本丸から大広間を見下ろす。
日没間近で観光客はすでにいなかった…
大広間から本丸を見上げる。
かつての様子。
⑪大広間。
ここでお江が生まれたとも。
「クマ出没注意」の看板。
恐ろしい〰
ここから自然と駆け足になる。
黒金門から桜馬場を見下ろす。
走りながら撮ったのでブレてしまった。
黒金門跡。
⑬桜馬場の浅井氏及家臣供養塔。
桜馬場から琵琶湖を見る。
日が沈むぅ~
首据石。
六角氏との戦いで敵方に内通した箕浦城主今井秀信の首を晒したと伝わる。
急いで下りる。
馬洗池。
馬を洗った池というよりは、桜馬場下の堀だと考えられる。
⑭御馬屋。
三方を高い土塁が囲んでいた曲輪だった。
御馬屋下にある⑮御茶屋。
だんだん見えなくなってきた。
小谷城から城下を見下ろす。
手前の山は虎御前山城。
⑱番所。
ここで日没。
御馬屋からたった2分しか経っていないのに…
往時の様子。
こんな山奥で日没を迎えるとは。
ほとんど見えない山道を慌てて下りて行きました。
怖かったです。
(途中で、「ウゥ〰」という低い唸り声が聞こえたのですが何だったんだろう?)
それにしても、改めて見て小谷城は素晴らしい城だったんだなぁ~と見直しました。