等持院(京都市北区) | 三日月の館

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所在地  京都市北区等持院北町63番地
山号   萬年山
宗派   臨済宗天龍寺派
本尊   釈迦牟尼仏
創建   暦応2年(1341)
開基   足利尊氏

足利尊氏の墓所のある寺です。

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【等持院】

万年山と号する臨済宗天龍寺派の寺院である。
もと仁和寺の一院であったが、南北朝時代の暦応4年(1341)に足利尊氏が夢窓国師を開山として中興し、足利氏の菩提寺である中京区三条高倉の等持寺の別院とした。
延文3年(1358)に尊氏がこの寺に葬られると、その法名をとって等持院と改められ、その後、本寺である等持寺を統合した。
足利氏の菩提所にふさわしく、堂塔伽藍は衣笠山麓に威容を誇ったが、長禄年間(1457~60)以来、しばしば火災に遭って荒廃した。
現在の建物は江戸時代・文政年間(1818~30)の建立である。
方丈は、元和2年(1616)に福島正則が建立した妙心寺海福院の方丈を移建したものと伝えられ、霊光殿には尊氏の念持仏といわれる利運地蔵像を安置し、左右の壇上には足利各将軍と徳川家康の木像を安置する。
境内には尊氏の墓と伝える高さ五尺の宝筐印塔のほか、夢窓国師の作庭といわれる東の心字池と芙蓉池を中心とした池泉回遊式庭園、足利義政好みと伝えられる茶室清漣亭などがある。

京都市

最寄駅は京福電鉄北野線等持院駅。
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徒歩約10分で等持院山門。
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山門から真っ直ぐ進むと入り口。
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マキノ省三の像。
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碑文。
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生涯を、映画の発展と前進に尽し、日本映画の父と仰がれたマキノ省三先生が、大正10年に最初の撮影所を、創設せられたのは、実にこの等持院の地でありました。
このたび、先生の銅像を太秦より迎えましたのは、ひとえに、日本映画史の一頁を飾るゆかりの此の地に、永く、先生の遺徳を顕彰したいと念ずるが故であります。

昭和45年7月25日
マキノ省三先生顕彰会

また山門。
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庫裡。
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玄関から見る。
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奥の達磨絵。
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方丈へ。
説明板。
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霊光殿から見た方丈。
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方丈の額。
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方丈内部。
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方丈の庭園。
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方丈奥に霊光殿。
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説明板。
中に足利氏歴代将軍の木像が安置されている。
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今回行ったら撮影禁止だったので、20年前に「写ルンです」で撮ったもの。
 ←本尊                                                    入り口→
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  徳川家康   足利義尚   足利義稙   足利義澄   足利義晴    足利義輝   足利義昭
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  足利尊氏   足利義詮   足利義満   足利義持   足利義教    足利義勝   足利義政

室町幕府の足利将軍は、初代足利尊氏から16代足利義昭まで。
5代足利義量、15代足利義栄の木像が無い。
10代足利義材は12代就任時に足利義稙と改名し同一人物。
代わりに徳川家康が安置され、全部で14体ある。

霊光殿を後にする。
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今度は書院へ。
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書院から西の庭を眺める。
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書院奥に茶室清漣亭がある。
衣笠山が借景だったが、立命館大学に遮られ見えない。
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行ってみる。
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手水鉢。
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上段一畳貴人床。
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茶室清漣亭から方丈を見る。
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もう一度西の庭芙蓉池を見る。
夢窓国師作の三大名園の一つ。
池全体が蓮形をしている。
中の島は蓬莱島という。
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有楽椿。
織田有楽の時代に豊臣秀吉が秀頼に寺を再興させたときに庭園の修復とともに植えたものと伝えられるもので四百有余年の樹齢と書いてありました。
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東の庭。
こちらも夢窓国師作。
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心字池。
草書体の心の字をかたどって作られた池庭。
中の島には観音閣があったが、現在は礎石のみ残る。
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足利家十五代供養塔。
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そして東西の庭の中央にあるのが、足利尊氏公の墓。
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最後に御朱印。
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足利将軍家菩提寺、等持院でした。