登城日 2003年秋 晴
難易度 ☆☆
場所 千葉県野田市関宿三軒家143-4
現在は利根川と江戸川の分岐点にある関宿城。
ここも千葉県か~、とビックリ。
【関宿城の歴史】
長禄元年(1457)古河公方足利成氏の有力家臣簗田成助が水海城(茨城県総和町)から関宿に移って築城したのが関宿城の始まりと伝えられています。
以来簗田氏の居城となった関宿城は、「抑彼地入御手候事者、一国を被為取候ニも不可替候」(喜連川文書)と象徴されるように、後北条氏が北関東へ勢力を伸ばす上で戦略的拠点でした。
天正2年(1574)に簗田氏が関宿城を開城し、その後は後北条氏の支城として戦略上重要な前線基地となりました。
天正18年(1590)、松平康元(徳川家康異父弟)の入城が関宿藩の始まりで、以後江戸幕府は代々ここに譜代大名を配してきました。
藩主は8家23代にわたっていますが、なかでも久世氏の治世が最も長く、老中などの要職に就き幕府内で重要な地位を占めました。
また、川越城や佐倉城などとともに江戸城防衛の重要拠点であり、利根川水運の中継地点に位置していたことから、幕府は関宿城をとても重要視していました。
幕末になると関宿藩内は勤皇・佐幕派に分裂し、波乱の中で明治維新を迎え、明治4年(1871)の廃藩置県で関宿藩が廃止されました。
翌年には新政府の方針で関宿城の廃城が決定されました。
数年のうちにすべて取り壊され、ここに400年余りに及ぶ関宿城の歴史に終止符が打たれました。
(千葉県立関宿城博物館公式HPより)
説明板。
かつてはこんな感じだったそうです。
カニみたいな自分が写ってしまった。
はずかしい~
関宿城の模型。
江戸時代の様子。
現在の様子。
河川改修により、水没してしまった。
本丸の一部が僅かに残る。
関宿城址の碑が建っているのみ。
関宿城跡の北方のスーパー堤防上に1995年に模擬天守が建てられた。
模擬天守は千葉県立関宿城博物館となっている。
この模擬天守は関宿城とは無関係とのこと。
但し、実際には「御三階櫓」と呼ばれる天守閣状の代用櫓が建築され、1671年に再建された際には江戸城の富士見櫓を模して再建されたという。
模擬天守から関宿城跡を見る。
圃場整備のため、城下の遺構はほとんど消滅してしまったとのこと。
北条氏康が「一国に等しき城」とまで評したとは思えないほど変わってしまった。
しかし、隈なく歩くと土塁や移築城門が僅かながら残っているらしい。
掘るといろいろ出てきたようだ。
移築城門のうち、薬医門が同じ千葉県にある逆井城に移築現存する。
模擬天守は関宿城と直接関係無いのだけれども、無かったら往時を偲ぶキッカケにもならないほど壊滅的破壊を受けてしまったのが残念です。